悲惨な内戦後、人々を勇気づけたナイジェリアのイボハイライフ音楽

アビア(ドラム)を演奏するイボ族の若者。写真提供 Ou Travel and Tour 掲載許可 

このシリーズ記事の前半、イボハイライフ音楽のパイオニアたちについてはこちらをご覧ください。

主にナイジェリア南東部に住むイボ族の人々は、イボハイライフ音楽のおかげで、国土を荒廃させた内戦が1970年に終わった後でも、心を慰め希望を抱くことができた。内戦という受難に遭った時も、ハイライフ音楽家たちは困難な状況の中で、今は試練の道を一歩一歩進む時だという神の啓示の言葉を借りて、人々を元気づけてくれたのだ。80年代と90年代を通して、イボハイライフ音楽はその時代が持つ独特の雰囲気を生き生きと表現し続けた。

ナイジェリア内戦が起こったのは、1966年のクーデターに失敗した勢力が、イボ族の行政官が率いるナイジェリア北部の行政府転覆を企んだ後だ。クーデター勢力の反撃は、イボ族や北部ナイジェリアに住む南部人などの大虐殺を引き起こした。この暴力の結果、その後すぐに「3万人にも及ぶ死者」を出し「100万人以上の」イボ族の避難民が「ナイジェリア東部」へと押し寄せることになったと、アメリカ議会図書館の調査員ヘレン・チャピン・メッツの研究は示している。イボ族はナイジェリアから離脱してビアフラ共和国を建国し抵抗した。1967年から1970年のナイジェリアとビアフラの内戦は、結果的に「100万人以上の現地イボ族と東部住民たち」の死者を出したと、合衆国のマーケット大学のアフリカ史教授チマ・J・コリーは主張している

内戦後のハイライフ音楽

内戦の結果、ナイジェリア中に離散していた100万人以上のイボ族が東部に戻ってきた。こうして東部のハイライフ音楽は存続できたというのがナイジェリアの学者オゲネムディアケヴウェ・イビの考えだ。イボ語の歌詞を英語に訳し、ハイライフ音楽のスタイルをイボ族文化の「民族音楽のひとつのバリエーション」にしたと、ナイジェリアの音楽学者イケンナ・オンヴェブンナは言う

1967年から1970年のナイジェリア内戦でイボ族は完璧に打ちのめされ、その生命も生活も失われてしまった。政府は「勝者も敗者もいない」という戦後スローガンを掲げ、ビアフラをナイジェリアに再統合しようと企てた。しかし現実は厳しく、まさにその政府の監督のもとで、ビアフラの銀行口座を持つ人が皆、内戦前の残高に関わらず20ポンドしか支払われないことになったのだ。この政策はおそらく実際の紛争以上に、厳しい内戦を生き延びた人たちを打ちのめしたと言える。

オリエンタル・ブラザーズ・インターナショナル・バンドに象徴されるように、イボハイライフ音楽はこの厳しい現実の真只中で人々に希望の光をさしてくれた。

オリエンタル・ブラザーズ・インターナショナル・バンド

オリエンタル・ブラザーズ・インターナショナルのナイジェリア盤オリジナルアナログレコード(アフロデシア・レーベル 1976年) 

ゴルドウィン・カバカ・オパラ、フェルナンド・(ダン=サッチ)・エメカ・オパラ、クリストゴヌー・エゼブイロ・”ワリオ”・オビンナ、そしてカバカ・オパラのオパラ兄弟は、ナタニエル・”マンガラ”・エジオグや ハイブリリウス・ドクウィラ・アラレイベやプリンス・イチタらと共に、1972年にオリエンタル・ブラザーズを結成した。彼らは70年代の終わりまでに20枚のアルバムをリリースした

ナイジェリアで最も成功したバンドのひとつオリエンタル・ブラザーズは、「悲惨な戦争」がトラウマになった後も重要な「精神的役割」を果たした。そのおかげでイボ族の人たちは「正気」を保つことができたと、世界的な音楽データベースのAll Musicは伝えている

残念ながら1977年にカバカはダン=サッチと主導権争いを起こし、その後カバカ・インターナショナル・ギター・バンド結成のために脱退した。3年後にはワリオも独立し、Dr. サー・ワリオ&オリジナル・オリエンタル・ブラザーズを結成した。数年後にグループは再結成され、アルバムを2枚リリースした。『アニ・アビアラ・オゾ』(1987年)と『オリエンタル・ゲ・エビ』(1996年)だ。

ダン=サッチ(左)とワリオ(右)。オリエンタル・ブラザーズのアルバムジャケットから

2015年3月、ダン=サッチ・オパラはナイジェリアのオンライン娯楽誌「ニッチ」のインタビューで、オリエンタル・バンド・ブラザーズの一部の歌に秘められた着想の源について指摘した。例えば「イヘ・チ・ニレ・ム、オニエ・ア・ナナ・ム」とはイボ族の哲学的な格言で、逐語訳すると「私が神(や誰か)からもらったものは誰も奪えない」という意味になる。ダン=サッチは続けて「エベレ・オニ・エウア」とはオリエンタル・ブラザーズ分裂の予言だったと語った

イホマ』という歌もあり、それは1975年のウドジ報奨金についてのものだ。1972年、チーフ・ジェローム・ウドジはナイジェリアの独立後および内戦後の行政業務改革を政府から委嘱された委員会の長だった。委員会が提案した公務員の改善給与体系はのちに「ウドジ報奨金」として知られている。『イホマ』は給与増額対象に含まれないミュージシャンたちを皮肉る結果になった。ダン=スコッチはこう語る。「お金をガッポリもらってバイクや車を買った奴もいる。でも俺たちミュージシャンは一銭ももらえなかった(中略)人々を幸せにするのにこんなにがんばったのにね」

このバンドの大きな特徴はコンゴのギター演奏と伝統的なイボのリズムの独特な融合にある。魂も身体も癒してくれるその演奏は80年代のラジオ放送を独占した。オリエンタル・ブラザーズは平和で調和の取れた生き方が必要だと強く訴えた。「バンドの歌のテーマの多くは戦争体験から取られているが、イボ族の豊富な格言を使ってよりソフトに表現している」とナイジェリアのオンラインニュースサイト、レギット(Legit)のアマカ・オビオジ記者は伝えている

オゾエメナ・ヌスベが演奏するエゲ・エクピリ

イボ族の伝統的な楽器エグ・エクピリ。左から順にイチャカ、ウボ・アカ、イチャカ、オクポコロ(別名エクエ・ヌタまたはエクエ・アカ)画像提供 ジョバナ・フレック/GV

エグ・エクピリとは伝統的なイボ音楽のひとつで、ナイジェリア南東部アナンブレ州のオニチャ、ヌスベ、ヌテジェ、アグレリといった地域出身のイボ族の間で主に演奏されている。その特徴は掛け合いによる演奏である。このイボ族に伝わる音楽は「伝統的かつ抽象的な隠喩を駆使してイボ族のユニークな民族性と考え方を明確に表現している」とナイジェリア人言語文学学者エブカ・エリアス・イグウェブイケは述べている。オクポコロ(別名エクエ・ヌタまたはエクエ・アカ)やイチャカやウボ・アカなどのエグ・エクピリ楽器の起源は紀元950年頃の伝統的イボ族社会にまで遡るものだ。

アクンワタ・オゾエメナ・ヌスベのアルバムジャケット

この音楽は伝統的なエクピリのイボ民族楽器を演奏しながら、エレクトリックギターやピアノを大きくフィーチャーしてイボハイライフ音楽に溶け込ませてきた。1967年に歌手デビューしたアクンワタ・オゾエメナ・ヌスベや「エゼ・エグウ・エクピリ」の名で知られたチーフ・エメカ・モロッコ・マドウカなどが有名なエグ・エクピリのハイライフ男性歌手だ。彼らが歌う内容は思慮深く教訓的なものが多い。

ジグマサウンドはハイライフと民族音楽と歌のフュージョン

ブライト・チメジーのアルバムジャケット

ブライト・チメジーは80年代のはじめに人気を博した自身の『ジグマ・サウンド』の演奏で、イボ族の伝統音楽やハイライフとボーカルのフュージョン化を押し進めた。このすきっ歯のチメジーはファンにはオコロ・ジュニアと呼ばれ、数多くのライブ演奏で印象的なフットワークを披露してナイジェリアの音楽シーンを魅了した。

ナイジェリアのジャーナリスト、故アマディ・オグボンナはチメジーについて次のように書いた

His breathtaking performance on stage also endeared him to the crowd wherever he performed. A very creative musician, Bright Chimezie was able to infuse comedy into his songs. Songs like ‘Respect Africa,’ ‘Okro Soup’ and ‘Oyibo Mentality’ propelled him to national stardom.

息を呑むような彼のステージパフォーマンスはどの会場でも人々の心をとらえるものだった。極めて創造的な音楽家であるブライト・チメジーは自身の歌にユーモアを吹き込むことができた。『アフリカを敬え(Respect Africa)』や『オクラのスープ(Okro Soup)』や『オイボの精神(Oyibo Mentality)』などの歌で彼は国民的スターの座にかけのぼった。

「アフリカ文化と伝統」を強く信じているチメジーは、物語を創造的に語るために音楽を活用したと2010年のインタビューで次のように話している。「聴衆の人たちに理解してもらおうとしているメッセージとは、みんな自分たちの出自に誇りを持たなきゃということだ。つまりどんな食べ物を口にし、どんな服を着るかといったことだね」

自分がイボ族であることから音楽的な着想を得ているこれらハイライフの音楽家たちは、ファンに楽しんでもらいながらも、自分とは何者かと深く問いただしたのだ。チメジーの主張では、自分たちの音楽には「ひとつの哲学」があり、それは人々の物語を語る「詩的な文脈」にはっきりと現れている。西欧とイボ族の楽器が混ざり合って、今でも決して古びることのない個性を発揮し、人々に受け入れられる力をその歌に与えたのだ。

ナイジェリアのイボハイライフの歌の数々にスポットライトを当てたGVのSpotifyプレイリストはここから。アフリカ音楽についてもっと知りたい方は、我々の特別取材『アフリカ音楽への旅』をご覧ください。 

70年代から90年代までのイボハイライフ音楽のプレイリストはここから。 

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