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オリンピック参加選手のメンタルヘルス 大会後なおざりに 新たな研究で判明

カテゴリー: サハラ以南アフリカ, 南アフリカ, 日本, スポーツ, 健康, 市民メディア, オリンピック, スポーツと多様性

オリンピックとパラリンピックが終わった今、スポーツに関わる人たちの間には、大会終了後の選手たちの日常生活の過ごし方に関心を寄せている人たちがいる。ナイジェリアのラゴス大学のクリフォード・C・ウローおよびセリーナ・M・アドゥンミは『新型コロナウイルス感染症の世界的流行が運動選手に与える心理的影響』(Psychological Impact of the COVID-19 Pandemic on Athletes [4])と題する研究結果を発表した。この研究により、一流アスリートたちは新型コロナウイルス感染症の世界的流行とそれに伴うロックダウンの結果、多大な心理的苦痛を体験したこと明らかになった。さらに、エリート選手の運動時のメンタルヘルスに関する最近の研究によると、多くのスポーツ分野では選手に「精神的強さ」を求めようとする考えが強いので、エリート選手に課せられる負荷は選手以外の人に課せられる負荷と比べると過少に評価されがち [5]であることも分かった。

ある研究結果によると、スポーツ選手は選手以外の人とは比較にならないほど不安や鬱に取り憑かれやすく、全世界のエリート選手の約33パーセントが鬱や不安を体験していると推計されている [6]。それに対して、総人口の中でそのような症状を訴える人の割合はわずかに4~5パーセント [7]程度である。

アフリカ・スポーツ界の例を見ると、メンタルヘルス障害が生じ、結果的に引退に追いやられた選手が多数いる。2018年に掲載された『ホイッスルの後で:南アフリカ・スポーツ界のメンタルヘルス』(After the Whistle: Mental health in South African sport [8])と題する記事の中で、ラグビーにせよ、クリケットにせよ、オリンピックにせよ、スポーツ界から引退した選手の体験が取り上げられている。

ニュージーランドのフィールドホッケー選手でオリンピックに出場経験のあるブルック・ニールは、インスタグラム [9]でスポーツ選手のメンタルヘルスについてストレートに問いかけている。彼女は試合終了後に多くの選手が体験する口には出せない孤独感や苦痛について、選手たちに公開質問状を載せた。

I just wanted to pop in and check on you. So you might be a little confused right about now. You've just competed in the world's biggest sporting event and yet, this is one of the lowest times you've ever felt.”

You have been in this bubble, your own little world, with 10,000 athletes who are at the top of their game. You have poured blood, sweat, and tears to get there, but you weren't really prepared for the day after. For the week after. For the months after this huge spectacle. You weren't prepared for life to continue as if nothing happened.

突然ですが、皆様にお聞きしたいことがあります。面食らったかもしれませんがお許しください。皆様は、国際競技大会で競ってきました。しかし、その時の気分は最低でした。

その時は、それぞれの競技のトップ選手たち1万人と一緒に自分たちの小さな殻に閉じ籠って行動を共にしていました。そのような環境の中で血のにじむような努力をした結果、出場を果したのです。ですから、後日の備えなど考えるゆとりはなかったのです。大きな大会を終えた後、次の週も、数か月の後も、これまで何事も起こらなかったようにいままで通りの生活ができると考え、なにも備えをしなかったのです。

コートニー・ウォルトンとアンドリュー・ベニーの両研究員は、ザ・カンバセーションのサイトに載せた論文 [10]『次に何が』(what’s next?)の中で、運動選手にとって致命的となるような問題を提示している。二人は、2021年5月にも別の研究報告書 [11]を公表している。そこには、2016年のリオ・オリンピックに参加した18人のオーストラリア選手にメンタルヘルスに関するインタビュー調査を行った結果、オリンピック後は選手のアフターケアに関してあまり注意が払われていないといったことが報告されている。

同報告書には、試合後様々なレベルの選手が高揚感と同時にしばしば倦怠感に襲われていることも報告されている。また、オリンピック後の精神的な落ち込みという問題も報告されている。これは、ハウエルおよびルカッセンの言う「オリンピック後遺症」に相当するものである。

インタビューを受けた選手は、大会終了後の生き方を定めておくことこそ、精神衛生や体の健康を維持するために欠くことのできない要素であると答えている。例えば、入学や復学、新たな就職活動の開始、結婚や休暇旅行、あるいは、次のシーズンに備えた練習の再開などといった目標を定めておくことが大切であるという。

同報告書によると、中には、明確な方針を持っていない選手もいるし、現役を続けるか引退するか迷っている選手もよく見受けられる。そのようなときに悩みが湧いてくる。ある選手は次のように述べている。

When you get home it’s really lonely […] It’s quite depressing, and it is a little bit overwhelming, starting from square one again.

家に戻った時は本当に寂しいです。(中略)本当に気がめいります。もう一度最初からやり直すのは、ちょっぴりキツいです。

Forward Together

「ともに進もう」 写真:IAPB/VISION 2020 使用条件:CC BY-NC-SA 2.0

別の選手は次のように述べている。

[Athletes] come back from the Olympics and they haven’t had anything to do. So, they haven’t had university, they haven’t had work, they haven’t had a family, they haven’t had community engagement, they haven’t had a plan.

オリンピックが終わってみて、私たち選手はこれまでオリンピックがすべてで、それ以外は何もしてこなかったことに気づきました。大学にも行っていなかったし、仕事もしていませんでした。家族とも離ればなれでした。コミュニティとも無縁の生活をしていました。オリンピック後の目標など考えるゆとりはなかったのです。

 同報告書は、オリンピック終了後、選手の精神状態をチェックする専門家を確保してほしいと提言している。さらに競技シーズン終了後や引退後に、スポーツ以外でも自分らしさを示すことができる能力を築き上げることが大切だとしている。

さらに​、一般市民及びメディアに対してオリンピックを終えた選手の気持ちを温かく見守るよう訴えている。東京オリンピックで体操種目を棄権したシーモン・バイル選手の行動 [12]を切っ掛けにして、ここ数か月の間にソーシャルメディアからのスポーツ選手に対する罵詈雑言(バリゾウゲン)がめだつようになった。
南アフリカのボート選手リー=アン・パース [13]は、2回のオリンピックをはじめ世界ボート選手権大会など数々の世界大会に出場している。16歳でボートを始めた彼女の才能はみごとに開花し、スポーツ奨学金を得てアメリカへ渡った。その後南アフリカの漕艇チームに引き抜かれた。このことは、キャリアの点では喜ばしいことであるが、個人的には孤独な立場に立たされることになった。彼女は次のように述べている。

Once I stepped away from the sport, I realized how much I missed out on in terms of my family. And I realized they kind of kept things from me to protect me because they didn’t want to get me down. They might think, ‘she’s in a good place, let’s keep her there.’

スポーツの世界から身を引いてみて、私は家族に大変な苦労を掛けていたことに気づきました。私をがっかりさせたくなかったので、もめ事はできるだけ表に出さないようにして私を守ろうとしていたのです。「リーは今調子がいいので、この状態をキープしておこう」と家族は考えたのです。

「デイ10 ホッケー(2010年8月24日)」 写真:2010シンガポール・ユースオリンピック [14] 使用条件:CC BY-NC 2.0

オリンピックに参加した選手はオリンピック後に、しばしばいわゆる大会後のひどい無気力感に襲われる。プロとアマの線引きは曖昧であるが、いずれにとっても勝つことが第一とされ、その期待に応えようとしてこのようなメンタルヘルスの問題が生じてくるのであると、パースは指摘し、次のように述べている。

When things aren’t going well, you question yourself. You wonder if it’s your fault, if it’s acceptable for you to feel this way, like you’re not coping.

思うような結果を出せない時、自問自答します。 自分のやり方は間違っていたのだろうか、あるいはこんな風に思うのはまともなことなのだろうかと。でも、いずれの考えにもなぜか納得できないのです。

元フィールドホッケー選手サナニ・マンギサは、南アフリカの選手であれ他の地域の選手であれ、いずれの選手も引退しようとするとき十分なサポートを得られないと、訴えている。選手たちは引退の手続きを手伝ってもらえるように元コーチや助言者と連絡を絶やさない努力をしている。しかしコーチたちにはその時間がないので連絡が途絶えてしまう場合が多いのである。

If you can inspire one person to be able to come out of their shell and be able to say, ‘This is how I’m feeling,’ the dialogue becomes more open and it becomes a natural thing.

自分の殻に閉じこもっている人を外に出るよう励ました結果、その人が外に出てきて「これが、私が今思っていることです」と言えるようになれば、より打ち解けた自然な対話ができるようになります。

スポーツ団体は、選手から引退の相談を持ち掛けられた時、それに応じられるような体制を整えておいてほしいと、マンギサは願っている。オリンピック出場はもちろん評価されなければならないが、スポーツ以上にやりがいを感じる場面があるのも事実である。

When we have conferences at World Cups, we need to dedicate a section to mental health. And we all need to listen to each other.

ワールドカップの協議会を開催する場合は、その中にメンタルヘルスに関する部門を設置する必要がある。そして、皆で互いの意見に耳を傾けあうことも必要である。

南アフリカのキルステン・ヴァン・ハーデン博士は、スポーツ選手のメンタルヘルスに関する対策を確立しようとして様々な分野にまたがる18人の選手にインタビューした。そして画期的なWalking from the Dream transitioning to regular life after a career in elite sports [15]”(『夢からの目覚め エリート選手の生活から普通の人の生活への移行』)を著した。博士は、その著書の中で、エリート選手は絶頂期から、引退後の生活を平穏に過ごせるような対策を考えておくべきだと強調している。アフリカの選手及び世界の選手の視点から浮かび上がったメンタルヘルスの問題。これに対処する方法をいま探ることは、もっとも時宜にかなったことといえる。

校正:Yasuhisa Miyata [16]