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人気は衰えず キューバで禁止の歌

カテゴリー: カリブ, ラテンアメリカ, キューバ, 市民メディア, 検閲, 歴史, 音楽, 架け橋, Striking the wrong notes

(英文記事掲載日:2021年12月2日)

ウィリー・チリーノ ミュージック・ビデオ『Nuestro Día』のスクリーンショット YouTube [1]より

ウィリー・チリーノ [2]作詞・作曲の『Nuestro Día ( Our Day is Coming ) 』が90年代初期、キューバ人の暮らす国や地域で発売されてから30年以上になる。この歌は亡命したキューバ人だけでなく、島内の経済・社会危機にうんざりしたキューバ人全世代の代表的な音楽である。私は、なんとしても警官から逃げねばならなかった時のことを忘れはしない。それは90年代初期、私がティーンエイジャーだったころのことだ。当時のラジカセでこの歌を聞いているところを見つかったのだ。

長い間キューバの同盟国 [3]であったソ連が崩壊したあと、キューバ政府の終わりを匂わすこの歌が発売された。ソ連崩壊と同時にキューバの経済危機は悪化し、それがバルセロス [4]ボートピープル [5])の国外脱出と、マレコナソ [6]という1994年の大規模デモを引き起こした

1991年発売のチリーノのアルバム『 Oxígeno(スペイン語で「酸素」の意)』の1曲、『Our Day is Coming』は当時ヒットした。音楽用カセットテープはほとんど目にしなくなっていたが、人々はパーティーや家族のお祝いの場に持ち込み [7]、曲をかけた。

ウィリー・チリーノは1947年キューバに生まれたが、14歳でマイアミに移住した。チリーノはグロリア・エステファン [8]セリア・クルス [9]アルトゥーロ・サンドヴァル [10]パキート・デリヴェラ [11]とともに、アメリカ合衆国のキューバ系移民コミュニティーの芸術的アイコンとみなされている。

2012年、事実上禁じられていた50名のアーティストの音楽を流す許可を得た、とキューバのラジオ局が報じた [12]。しかし、2年後にチリーノは「ある種の(自分の)音楽がキューバでは未だ禁じられている。というのは、ラジオやテレビで流れていないからだ」とBBCムンドに説明した [13]2021年7月11日 [14]に起こったキューバの反政府デモのあと、チリーノは『Que se vayan ya [15] ( Let them go now ) 』というタイトルの新曲を発表した。

チリーノは『Our Day is Coming』の中で、アメリカ合衆国内のキューバ移民である自身の体験を歌い、合衆国の文化や言葉に馴染む困難さという移民の現実を浮き彫りにしている。チリーノは、合衆国へ移民し新しい機会を求める人々の象徴になった。

1990年代にひっきりなしに起こりキューバを悩ませた停電の最中、何百万ものキューバ人はその自伝的な歌を聞き、現実の不安から逃避した。人々は、反体制的と思われる音楽を聞いたかどで警察に見つかったり、失業したりする恐怖の中で暮らしていた。

1996年、故郷クルセシータの文化センターで初めて『Our Day is Coming』を聞いた。その頃の私はラップとヒップホップのファンだった。あの頃、私はラジカセを持ちながら同年代の若者と通りをぶらついては、踊ってブレイクダンスのできる一角をさがしたものだ。ある日の午後、友人がその歌のコピーをくれた。私たちはダンスのリハーサルをしながら、できる限り音量をさげて一緒に聞いていた。友人がたまたま音量を上げたそのとき、不意にパトカーが通りかかり、警官が車から降りた。私たちは友人の家に逃げ隠れた。その日の午後、私たちは誰にも密告されず、見つかることはなかった。

家に食べる物がほぼなかった当時の私にとって、初めて聞いた『Our Day is Coming』はめっけものだった。学校から帰宅し、90年代のエネルギー危機のため薪で料理している祖母を見るのは忍びなかった。希望に満ちたメッセージを伝えるその歌のインパクトは絶大だった。そのメッセージとは、当時バルセロスを受け入れていた合衆国へいつか逃れ、自由を手にするというものだ。

現在の若者世代の歌にも似たような傾向が見られる。Yotuel(ヨトゥエル)、Gente De Zona(ヘンテ・デ・ソナ)、Descemer Bueno(デセメル・ブエノ)、Maykel Osorbo(マイケル・オソルボ)、 El Funky(エル・ファンキー)といった、キューバのラッパーや歌手による『Patria y Vida [16]』がそれである。私たち多くの若者は普段顔を合わすと、自由なキューバを指す合言葉としてこの歌のタイトルを仲間に耳打ちする。また、メールなどの文面にも「Patria y vida(祖国も生も)」を書き添える。キューバ人はフィデル・カストロのスローガン「Patria o muerte(祖国か死か)」を何十年も強要され続けてきた。「祖国も生も」は「祖国か死か」を葬るスローガンとして、私たちが強く主張するものだ。キューバの現在と未来は「Patria y vida」とともにある。

この記事はルイス・ロドリゲスという仮名を使用し、キューバで著作されたものです。
校正:Masato Kaneko [17]