インドではお茶のいれ方もさまざま

A tea garden is in the foreground under an overcast sky with streaks of blue. Some green hills stand in the background

インド南部ニルギリ丘陵に広がる茶園 撮影:アメヤ・ナガラジャン 撮影許可取得済

私の住むインド最南端のタミル・ナードゥ州はコーヒーの産地。熱々で、牛乳いっぱいで、チコリの苦みのきいた「フィルター・カーピ」は地元では最高の飲み物だ。このコーヒー専用のステンレス製容器と受け皿は、真空パックと飲み物の冷却の二つの役割を果たしている。父はお気に入りのコーヒー豆やブレンドがあり、コーヒーのいれ方や飲み方にもうるさい。そして決して、絶対に電子レンジで温め直さない。そのような我が家ではあるが、三世代に渡るもう一つの伝統が存在する。それはコーヒーとは真反対の、世界的にはとてもインド的な飲み物、つまりお茶についての伝統だ。

インドは世界的な茶葉生産国[]だが、ほとんどの茶葉は国内で消費されている。アッサムダージリンは誰もが認める世界的な人気ブランドだ。各地に広大な茶園が開かれたのはイギリス東インド会社の時代からだが、インド固有種のお茶の木があり、インド北東部の人々はアーホーム王国の時代からお茶を摂取していた。この地をイギリスが植民地支配するようになると、イギリス人は中国から秘密裏に持ち出したお茶の木の栽培を計画した。お茶は世界中で引く手数多の金のなる木であり、イギリス人は中国に流れる儲けを、自分のものにしたかったのだ。今日アッサム茶はイングリッシュ・ブレックファースト、アイリッシュ・ブレックファーストといった紅茶で使われている。

インドで茶業が盛んな地域は三つある。北東部には一番有名なダージリンとアッサム、北部のカングラ[]、そして南部のニルギリ丘陵だ。インドのお茶は、煮出した茶に牛乳と砂糖を加えて作る。チャイと呼ぶこの飲み物は、インド中どこででも飲めて、インドのスターバックスにはチャイ・ティーとかティー・ティーといった楽しい名前がついたメニューがある。煮出したミルクティーと言っても、作り方は様々だ。南インドではカルダモンとシナモンを加えて濃く、強く煮詰めたお茶を、ぐい呑みのように小さな容器に入れて飲む。一方北部では香辛料を使うが、煮出しで使うのは新鮮な生姜だけだ。牛乳も少なめで、お茶は南ほどは濃く煮出さない。南部のデカン高原の都市ハイデラバードや、ムンバイの街中ではイラニカフェでイラニチャイを味わうことができる。イラニカフェを始めたのは、イランからムンバイにやって来たゾロアスター教徒の移民で、次第に内陸部に移動してハイデラバードに集まるようになった。イランでは紅茶を飲む習慣はあるが、イラニチャイという濃く甘いミルクティーの名前は、このお茶を出すイラニカフェから来ている。カフェのメニューにある、バターや羊肉のサモサを添えた塩味のビスケットや菓子パンからは、美味しいお菓子が揃うイランの豊かな間食文化[]をうかがい知ることができる。

ハイデラバードのイラニチャイを語るユヌス・ラサニア記者 インスタグラムより

 

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おいしいイラニチャイの秘密を知りたい?
牛乳と粉茶と砂糖を混ぜただけじゃダメ。手間ひまをかけてハイデラバードのイラニチャイがうまれる。
大事なのはお茶だけで煮出すこと。それからバプニ(写真の容器)に移す。牛乳の方はとろ火で時間をかけて温めること。
写真はニムラカフェだけど、どこのカフェでもいれ方はだいたい同じ。
一つ残念なことは、チャイの中身が変わってしまったこと。最近は牛乳製のコンデンスミルクを使うので、ふた昔前よりもだいぶん甘くなってしまった。
昔からあるアルファ、ガーデン、グランドなどのカフェでは、コンデンスミルクを使わないので、お茶の味も香りも強い。

歴史:
今日、ハイデラバードのイラニチャイは見慣れた風景だが、その歴史は約100年前にさかのぼる。ハイデラバードの魅力の一つとも言えるこのカフェはイランの移民から始まった。
1世紀前にイランからやって来た移民が、この町の人たちのために産み育てたイラニチャイからは、奥深いペルシャ文化を感じることができる。
調べたところでは、移民がやって来たのは20世紀初頭で、ほとんどはイランのヤズド州出身の経済的理由からの移民だった。
イランの移民は海路カラチ、ボンベイを経てハイデラバードにやって来た。
ハイデラバードではダッキニー語が普及しており、アーサフ・ジャー王朝、ニザーム王国が支配するハイデラバード・デカン州では公用語もペルシャ語、後にウルドゥー語だったので、イランからの移民が当地の言葉に順応するのは容易だった。
イラン出身者の開いたカフェだから、イラニチャイと呼んでいる。一方でイランの人が飲むのは普通の紅茶で、チャイではない。
ゆっくり温めた甘い牛乳と煎じ詰めたお茶を半々で混ぜるのが今日のハイデラバードスタイルだ。
70年代から90年代にかけてのイラニカフェは学生には人気の溜まり場で、何時間も延々と政治についての論議が続いた。
アビッズのグランドホテル (@grandhotelandrestaurant) は1935年創業で、当地で営業中のイラニカフェとレストランとしては1番古い。

一方インド北東部では、チャイは赤や黒い色のお茶でアッサムの「ラル・サ(赤いお茶)」と言う。大き目のアッサム茶葉を、沸騰したお湯でよく煮出したお茶に、砂糖やローリエ、ときにはライムジュースを加える。インドには、英国流のお茶の飲み方がもちろん存在する。それはディップティーと言う、つまりティーバッグでいれるお茶だ。ティーバッグは列車のお茶売りでおなじみだ。紙コップに入れたティーバッグの上から、温めた甘い牛乳とお湯を注ぐが、人々はこの飲み物を本物のお茶とは思っていない。多くの上流階級のインド人は、英国流紅茶を真似てティーバッグしか使わなくなり、ついにはアールグレーに似たブレンドを作り出している。

私自身は正統的なチャイを堅持している。私の好きなお茶は、茶葉がクルクル巻いたアッサム茶のソサイエティ・ティー (Society Tea[]) という銘柄で、水、牛乳、砂糖、茶葉を手鍋に入れて沸騰させて作る。ただ母はこの作り方を見て慄然とする。母の好きなお茶はニルギリのノンサッチ (Nonesuch[]) と言う銘柄で、沸騰したお湯にすばやく茶葉を加えて作る。火を止めてお茶が十分出た後にサッと水と砂糖少々を加える。だが私、母、祖母の3世代でも祖母のお茶はとびっきりだ。祖母は完璧なお茶のいれ方を、何年もかけて考えついたのだ。セイロンファンの祖母がニルギリやダージリンも容認するようになっても、お茶のいれ方だけは譲らない。祖母に言われた通りに私たちがお茶の準備しても、何か忘れていると、祖母は何を飛ばしたか魔法のようにピタリと言い当ててしまう。

祖母の生み出したお茶のいれ方はこうだ。マグカップ一杯分の水を測って鍋に入れ、火にかけて加熱する。スプーン2杯の牛乳を金属製の小さなタンブラー(底の平たいコップ)に入れ、タンブラーを加熱中のお湯の中に置く。こうすると牛乳とお湯が同じくらいの温度になり、お茶の香りが引き立つのだそうだ。沸騰したらすぐに、別のタンブラー上に置いた金属製の茶こしににスプーン一杯の茶葉を加えて、熱いお湯を注ぐ。茶葉の入った茶こしをマグカップの上へ移して、タンブラーのお茶を再び茶葉の上に注ぐ。あっためた牛乳を数滴と砂糖を少々加える。かき混ぜるとできあがりだ。

インドではお茶と、その種類や入れ方についての話が、いつもあふれているが、我が家はまさにそうだ。同じ屋根の下、三世代の女性が三人三様に、次は誰が、どのような方法でお茶をいれるかという話題で盛り上がり、自分のいれ方が良いと主張し合っている。ついには遠くアメリカに暮らす姪まで巻き込む勢いだが、姪も負けずに、ティーバックを使って自分で納得できるお茶をいれねばと、自分の方法を試行中なのだ。

校正:
Moegi Tanaka

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