ダミャン・ミハイロフは、インターネットで読むウェブコミック 『ルーシー・ザ・ネクロマンサー(少女霊媒師ルーシー)』を手がけたマケドニアの漫画家だ。ウェブコミック配信サイト 「Webtoon(ウェブトゥーン)」で英語版を連載し、このたび、英語に続いてマケドニア語でも書籍化された。
グローバル・ボイスはミハイロフ氏に、北マケドニアにおけるオンラインでのコミック出版に関する紆余曲折、世界の読者と国内の読者への対応の違い、さらにオンラインから書籍への展開が必要だった理由について話を聞いた。
日中はゲームのテクニカルアーティスト、夜は漫画家として活動するミハイロフ氏。プロの建築家としてキャリアをスタートさせたが、やがて趣味で描いていたイラストこそが本当に夢中になれるものだと気づく。こうしてマンガを描き始め、その道に進むことを決意した。根っからのオタクである彼は、コミックやイラストはもちろん、映画やアニメに関するあらゆるものを愛している。
グローバル・ボイス(GV):2021年にウェブコミックで発表した『ルーシー・ザ・ネクロマンサー』は、ホラーのお決まりの展開をパロディ化した作品のように感じられます。特に、偉大な霊媒師を目指す少女が登場したのは、思いがけない設定ですね。このような物語を描き始めたきっかけは何でしょうか?
ダミャン・ミハイロフ(DM): ゲーム開発の仕事を始めたころ、さまざまな理由で絵を描くのをやめてしまったんです。仕事をしているうちに、創造力が枯れていくような気がしました。あるとき、何かが足りないと気づいて、「何か目標を決めて、イヤでも描くようにしなくちゃいけない」と思ったんです。少なくとも、毎週何かを生み出したかった。そこで、子どもの頃から親しんでいた新聞の連載マンガのような形式を選びました。毎日新しい話が読めますからね。
長い間、相反する2つの世界がぶつかり合うような物語のアイデアを温めていました。不気味でありながら可愛らしい、そんな世界観です。そして今、それを形にして世に送り出すタイミングだと思いました。ゾンビには不気味さとユーモアがあり、突拍子もないストーリーを無限に生み出せる存在です。一方、ルーシーは明るく元気で、たまにシリアス、型にはまった霊媒師のイメージを打ち破るキャラクターです。

(左上)「元気だして!友達を見つけてあげるから」(右上)「あ、いた!おばけだ!」(左下)「はじめまして。私はルーシー、こっちはオリバー。あなたは誰だったの?」(左下)おっと…これは気まずい ダミャン・ミハイロフによるコミック『ルーシー・ザ・ネクロマンサー』 許可を得て使用
GV:基本的に4コマ形式を採用されていますが、ルーシーの冒険では1ページ完結のギャグから、より複雑で作り込まれた数ページの物語まで幅広く展開されていますね。4コマという制約の中でストーリーを展開するのは難しいですか?
DM:長い話はあまり好きではありません。特に、話が途中で終わって、続きは次回まで1週間も待たされると、前回の内容を忘れてしまいますよね。今は要点がはっきりしたコンテンツが好まれるため、1話完結の形式はいい選択だと感じています。描き始めた頃は、コマ数やフォーマットについて深く考えていませんでした。でも、続けていくうちに、一貫性があった方がいいと思うようになったんです。そこで、4コマ形式に絞ることにしました。
制約があるのは、実はとてもいいことだと分かってきました。物語を、キレよくインパクトのある形で語るにはどうしたらいいか、徹底的に考えなければなりません。コマ数が多すぎると、話がくどくなり、オチがぼやけます。長いジョークはウケませんから。

(左上)「あの人は私のすべてだったの…会いたくてたまらないわ」(右上)「ねぇ、彼女に会いに行ったほうがいいよ」(左下)ギャアアアー(右下)「うーん…そんなに会いたくなかったんだね…」 ダミャン・ミハイロフによるコミック『ルーシー・ザ・ネクロマンサー』 許可を得て使用
GV:ルーシーのほかにも、「植物と ゾンビ」や、ハリー・ポッターの世界で「マグル」と呼ばれる非魔法族の子どもたちなど、さまざまなキャラクターが登場します。彼らのやりとりには何か比喩的な意味があるのでしょうか?それとも、普遍的なメッセージを伝える手段として考えているのでしょうか?
DM:そんなに深く考えていませんよ、ルーシーの世界は。どちらかといえば、「面白かったらよし」くらいの感覚です(笑)。隠されたメッセージや意図はありません。彼女の世界には、さまざまな魔法の世界と現実が混ざり合っています。大切なのは、そういう世界が楽しく共存していること。私はただ、みなさんの日常にちょっとした楽しみを添えたいだけです。スター・ウォーズやロード・オブ・ザ・リング(LOTR)のファンでなくても、このコミックの中に何か面白いものが見つかると思います。

(左上)「ただいま、ボブ」(右上)「ちょっと待った!」(左下)「そいつは家に入れるなよ!どこから拾ってきたんだよ?」(右下)「自然史博物館」 ダミャン・ミハイロフによるコミック『ルーシー・ザ・ネクロマンサー』 許可を得て使用
GV: ホラーという設定は、ご自身の世界観を表現するためのメタファーなのでしょうか?それとも、登場人物にはモデルとなった人がいるのでしょうか?
DM:そうとも言えるかもしれません。ホラーというのは少し大袈裟で、どちらかというとタブーの方がしっくりきます。もちろん、おばけやゾンビなどが登場しますが、ホラーっぽく描いているわけではありません。むしろ、世間でタブーとされる事柄を逆手に取ることで、笑い話になるんです。もう、タブー視する風潮にはうんざりですよ。
『ルーシー・ザ・ネクロマンサー』にゾンビが出てくると聞くと、たいていの人は渋い顔をして「なんでそんな話を描こうと思ったの?」と言います。でも、何話か読むと「意外とかわいくて面白いね!」と、すぐに気に入ってくれます。
GV:ルーシーを描くにあたり、コミックや他のメディアでどんな影響を受けましたか?
DM: 私はウェブコミックが大好きで、素晴らしい作品が本当にたくさんあります。『ピーナッツ』や『バルタザール』といったクラシックな作品や、カートゥーンネットワークで放送された人気アニメを見て育った私は、こうした作品から大きな影響を受けたと思います。幼い頃からアニメやコミックに親しんできました。スコピエ市内のフランス文化センターの近くに住んでいたので、雨の日にはコミックコーナーへ行き、絵を「読む」ことに夢中になっていました。言葉は理解できませんでしたが、描かれたイラストを見ながら、自分なりのオリジナルストーリーを作っていたんです。私の住んでいた地域の店では、セルビア・クロアチア語に翻訳されたイタリアのコミックが売られていましたが、その多くがカウボーイものだったため、あまり興味を持てませんでした。その代わり新聞の連載マンガに惹かれ、次第にマーベルやDCコミックスの世界に引き込まれていきました。私がこれまで好きだった作品のすべてから、何らかの影響を受けていて、それは今でも変わりません。
GV:『ルーシー・ザ・ネクロマンサー』はもともとウェブコミックとして発表されましたが、なぜ紙の書籍としても出版することにしたのですか?
DM: はい、『ルーシー』はウェブコミックです。でも、ここで大事なのは「コミック」であることなんです。ウェブコミックはパソコンやスマートフォン、タブレットで手軽に読めるのが魅力ですが、コミックの原点は印刷物であり、それは今も変わりません。印刷されたコミックを好む人が多いのも事実です。それに、本棚に名だたるコミックと並んで『ルーシー』が置かれているのを見ると、すごく気分がいいじゃないですか(笑)。
GV:海外の読者は、デジタル版と書籍版のどちらの『ルーシー』にも関心を示しましたか?また、他の言語への翻訳出版には興味がありますか?
DM: はい、『ルーシー』は世界中の読者に愛されています。最初は、ウェブコミックの国際的な配信プラットフォーム「ウェブトゥーン」で英語版を公開しました。すると、あっという間に次のエピソードを心待ちにしてくれるフォロワーやファンが増えました。次のステップとしてマケドニア語版を作ったのは、マケドニアの子どもたちが英語版に良い反応を示してくれたものの、完全に理解できる子は多くなかったからです。彼らにもっと『ルーシー』を身近に感じてもらいたいと思いました。将来的には、さまざまな言語で翻訳・出版することが大きな目標です。実現できたら素晴らしいですし、そんな日が来るのをぜひ見てみたいですね。

(左上)「まずはこう!」(右上)「次はこう!」(左下)バキッ ドスン 「で、次は……!?」(右下)「だから練習するの!」 ダミャン・ミハイロフによるコミック『ルーシー・ザ・ネクロマンサー』 許可を得て使用
GV:北マケドニアやバルカン半島のコミックシーンには、どのように関わっていますか?また、新人や若手の漫画家やグラフィックノベル作家が、自分の作品を発表し、読者に届ける機会はありますか?
DM: ああ……これは難しい質問ですね。コミックを描く人と読む人、2つのグループがありますが、大半の人は、友人やフェイスブック、インスタグラムといったプラットフォームを通じてつながっています。マケドニアのコミックシーンは規模が小さく、クリエイターと読者が集まって交流したり、仲間としてのつながりや支えを感じたりできる場所はありません。それでも、この状況を変えようと、熱意ある人たちが懸命に取り組んでいます。
例えば、2024年にはコミックフェス「Strip Trip(ストリップ・トリップ)」の第2回目が開催されました。このイベントが今後も続き、恒例行事になってほしいです。以前は、国内でコミック関連のイベントがほとんど開催されていませんでした。しかし、近隣の国ではいくつかのイベントがあり、多くのマケドニアの漫画家にとって、そうしたイベントが精神的な拠り所となっています。最も残念なのは、政府が漫画家とそのファンへの貢献がほとんどない団体ばかりを支援しがちなことです。そのため、このフェスティバルも残念ながら支援を受けられませんでした。それでも、数人の熱心なメンバーがこのイベントを実現させました。彼らは地道な努力を重ね、見事にやり遂げました。フェスティバルは大成功を収め、来年はさらに良いものになることが期待されています。政府がこうしたイベントへの関心の高まりを認識し、支援を決定してくれることを願っています。その時が来るまで、私たちは創作を続けます。その情熱は誰も奪えません。