キングストンから世界へ遥かなる河をこえてージミー・クリフの人生と芸術

ラスタファリ運動を象徴する赤色、金色、緑色のひび割れた背景に現れたマイク Canva Pro を使って制作された画像

ジャマイカのレゲエ音楽の象徴、ジミー・クリフが2025年11月24日に亡くなった。享年81歳。妻のラティーファは、死因は発作からの肺炎だったとSNSで発表した。芸術仲間やファンたちをはじめ、彼の素晴らしい人生を共に歩んだすべての人たちに対して、ラティーファは「皆さんの支えがずっと彼の人生の力になっていた」と謝辞を表した。

アンドリュー・ホルネスジャマイカ首相のXへの弔辞。

今日、ジャマイカは足を止めジミー・クリフ氏の人生を讃えたいと思います。彼は音楽を通してジャマイカの心と文化を世界中に届けた偉人です。

いつまでも色褪せない名曲の数々に彼の心を聴くことができます。『遥かなる河(Many Rivers To Cross)』、『ハーダー・ゼイ・カム(The Harder They Come)』、『ユー・キャン・ゲット・イット(You Can Get It If You Really Want)』『シッティング・イン・リンボ(sitting In Rimbo)』など(後略)

クリフはメリット勲章を受賞した音楽家では唯一の存命者だった。この勲章はジャマイカで芸術や科学の分野で顕著な業績を収めた人たちに贈られるものだ。野党党首を務めるマーク・ゴルディングやキングストン市長アンドリュー・スワビー、そしてバルバドスのミア・モトレー首相もクリフが与えた世界的な影響を語っている。

ジミー・クリフは本名ジェームズ・チェンバース、1944年7月30日にセントジェームズ教区サマートンに10人きょうだいの一人として生まれた。ここは2025年にハリケーンメリッサによる大被害にあった地区だ。70年代以降のジャマイカ人音楽家の例に漏れず、音楽界で一旗上げようと14歳で父親と共に農村から都会に出てきた。すでにこの時までにジミーは若くして音楽に関心を示し、まだ小学生だったが歌を作り歌っていた。子ども時代には合唱隊で歌うなど教会音楽に強く感化されていたが、ソウル、ロックンロール、ジャマイカ音楽の影響も受けていた。

キングストンでは歌を作ったりコンテストに応募したりして10代を過ごし、魂のこもった歌声と作曲の力を磨いてきた。キングストン工業高等学校に通いラジオやテレビの放送メディアを学んだ。ジャマイカ・グリーナー紙によると、パレス劇場で行われた『ベラ・ジョンズ・オポチュニティ・アワー』に出演しキングストンでの人気に火がついた。有名なバイロン・リーのバンドと共に様々な場所で演奏した。彼はレコード制作者のレズリー・コングに自ら売り込み、17歳で『ハリケーン・ハティ(Hurricane Hattie)』を地元でヒットさせた。

まもなく、クリフの活動は革新的なアイランドレコード会社の最高経営責任者クリス・ブラックウェルの目を惹きつけた。クリスに英国に呼ばれ、その後さまざまな社会層でより幅広い聴衆を獲得することとなった。ジャマイカ音楽は英国のカリブ移民たちの世代だけでなく、「スキンヘッド」と呼ばれる1960年代後半の労働者階級の若者たちの間でも大人気を博した。1967年に世界的なデビューアルバム『ハード・ロード・トゥ・トラベル(Hard Road To Travel)』が発表され好評価を得た。このアルバムにはブラジルでヒットした国際音楽祭入賞曲『ウォーターフォール(Waterfall)』のカバーも含まれていた。1969年には『ワンダフルワールド、ビューティフルビープル(Wonderful World, Beautiful People)』、翌1970年には『ベトナム(Vietnam)』が続いて世界中で大ヒットした。また、キャット・スチーブンスの『ワイルド・ワールド(Wild World)』をカバーし英国のトップ10ヒット入りを果たした。

クリフは生涯で30枚以上のアルバムを録音したが、2022年の最終作『リフュージーズ(Refugees)』は世界各地で起こっている人道危機に触発された作品だ。彼は『クリフ・ハンガー(Cliff Hanger)』(1985年発表)と『リバース(Rebirth)』(2012年発表)でグラミー賞最優秀レゲエアルバムを獲得した。最近まで彼は演奏旅行で世界中を回っていた。彼のヒット曲はさまざまなジャンルの歌手たちにカバーされたが、その人気が急上昇したのは、1972年に公開された低予算のジャマイカ映画『ハーダー・ゼイ・カム(The Harder They Come)』によって表現者としての実力を認知されてからのことだ。ジャマイカ生まれのペリー・ヘンゼルが監督しトレバー・ローンとの共同脚本によるこの作品で、クリフは都会で一旗上げようともがく田舎の若者アイバンを演じている。警察や権力者に不愉快な目に遭わされ、アイバンはギャングの『ライジン』となって法を犯すようになるのだ。

映画のあらすじ以上に印象的だったのはその音楽で、熱狂的なファンにとって名盤となった。クリフの自作に混じって、主題歌にはデズモンド・デッカートゥーツ・アンド・ザ・メイタルズの曲が含まれていた。2021年にこのアルバムはアメリカ議会図書館によって「文化的、歴史的、芸術的に意義がある」と認められ、全米録音資料登録簿への保管資料に選ばれた。2024年にはローリング・ストーン誌がサウンドトラック歴史的名盤の第3位に指名した。

映画関連でもう一つ重要なことは、1993年のヒット映画『クール・ラニング(Cool Running)』のサウンドトラック曲ジョニー・ナッシュの『アイ・キャン・シー・クリアリー・ナウ(I Can See Clearly Now)』をクリフがカバーして世界的にヒットしたことだ。続けて2011年には、クリフ単独のアルバム『リバース(Rebirth)』がグラミー賞ベストレゲエアルバムに選ばれ、ローリングストーン紙の『2012年のベストアルバム50』の一枚となった。

ヘンゼルの娘ジャスティンは、2006年にロンドンシアターでのミュージカル『ハーダー・ゼイ・カム』の公演を楽しんでいたジミーの思い出と心温まる一言をXに寄せた。

メディア・映像作家バーバラ・ブレイク・ハナはクリフ自身や彼の映画と彼女の個人的な関わりをこう述べている。

ロンドンで『ハーダー・ゼイ・カム』の広報担当をしていたときにジミー・クリフと出会いました。映画と主演のジミーを宣伝していたので、彼と知り合い生涯の友人になったのです。彼はその偉大な音楽と映画の中に永遠に生き続けています。天国でゆっくりとお休みください、ジミー。

ジャマイカの米国大使館はクリフに賛辞を送り、友人であり音楽仲間でもあるワイクリフ・ジョンによって2010年に彼がロックの殿堂入りを果たしたと言及した。

今日、我々はジミー・クリフの逝去を知りました。彼の音楽は世界的に認められ、ジャマイカの声を世界の舞台へと押し上げました。独創的な芸術家でありロックの殿堂入りをした彼の業績は世界中で認められ、不滅の文化的遺産となっています。

クリフが生み出した闘争と社会正義の歌は多くの音楽家に影響を与えた。ボブ・ディランは1960年代にクリフの『ベトナム(Vietnam)』を史上最高のプロテストソングと呼んだ。また、ベテランロッカーのプルース・スプリングスティーンは、当時は地方巡業に明け暮れていたが、クリフの『トラップト(Trapped)』を力強いライブ演奏のレパートリーにしていた

米国の歌手トレーシー・チャップマンはクリフのステージを見た思い出をこう綴っている。

ジミー・クリフの音楽は世代を超えて希望、抵抗、喜びを伝えてくれました。『ハーダー・ゼイ・カム』から『遥かなる河』まで、レゲエだけでなく音楽そのものを永遠に変えたのです。彼の歌は私たちがこれからの人生で目の前に横たわる河を渡る際の道案内をしてくれるでしょう。

二人で一緒に録音する機会はありませんでしたが(後略)

英国のレゲエバンドUB40のメンバー、アリ・キャンベルも思いを寄せた。

レゲエの先駆者ジミー・クリフの訃報に接し、悲しみのどん底で打ちひしがれています。彼こそが我々の音楽の始まりであり、中心的存在でした。そしてレゲエを世界に向けて送り出した先駆者の一人でした。

安らかに我らのキング、遥かなる河をこえて。

アリより愛を込めて。

文化評論家ウェイン・チェンはクリフを「ジャマイカ生まれの初の世界的スター」と評した。

偉大な音楽家ジミー・クリフ(1944年7月30日ー2015年11月24日)、安らかに。セント・ジェームスのサマートン生まれ、 本名ジェームズ・チェンバース。ジャマイカが生んだ世界初のスター。

ワシントンポスト紙の追悼記事は、クリフはジャンル分けされることをよく思っていなかったと伝えている。2004年の同紙インタビューに彼はこう答えている。「レゲエの王者としてだけで有名になりたいなんて全然思わなかった。本当は音楽の王者として知ってもらいたかったんだ」。その通りさまざまな面で、彼は音楽の王者だった。レゲエなどのジャマイカ音楽の魅力が世界に紹介される際に、ボブ・マーリーがすぐにジミーの後を追ってアイランドレコード会社に迎え入れられた。しかしその音楽の魅力が世界的に受け入れられた点でジミーは別格だった。

ジャマイカ人経済学者キーナン・ファルコナーはこう述べた。

ジミー・クリフは不滅の大音楽家であり大文化人だから、「伝説的な」などという肩書きではその大きさを正しく評価できそうもない。もっと大きなものが必要だ。

クリフは得意の真顔でとぼけてこう語ったことがある。ガラの悪い地域で育ったので、映画『ハーダー・ゼイ・カム』のアンチ・ヒーロー、アイバンと同じような人生をたどったかもしれないと。家族が許さなかっただろうからそんなことにはならなかったが。彼が違う人生を歩まなかったことにジャマイカも世界も感謝の気持ちを忘れないだろう。

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