
サモワール湯沸かし器でお茶をいれ、音楽とダンスで盛り上がるバシキリア地方の人々 写真提供 デニス・ヤルムルジン/サマウリリー・リタイム 使用許可済
この記事は2025年7月17日にノヴァヤ・ヴクラダ(Novaya Vkladha)誌に初掲載されたもので、パートナーシップ契約に基づきグローバル・ボイスに編集版を発表する。
バシキリアには過ぎ去った時間が今でも生き生きと流れている。ここは旧ロシア連邦の構成共和国の一つだ。この地方では、広大な大草原の風景、歌うように話される言葉、そしてあいさつの交わし方などにその遺産が残されている。博物館の保管棚の奥に仕舞い込まれることもなく、生きた伝統の中に息づいている。ここに住む先住民族バシキール人は氏族を基盤にした社会システムを守り伝えてきた。それぞれの氏族には代々引き継いできた土地があり、起源を語る伝説があり、タムガと呼ばれる氏族を象徴する記号がある。タムガは今日でも工芸、旗、紋章などに見ることができる。
チュルク系のバシキール人はバシコルトスタン共和国の先住民族である。ロシアでは最大の民族の一つで、人口は約160万人を数える。特に若い世代の間で現在、元来のバシキール人らしさが再び関心を集めている。オンライン講座でバシキール語を学ぶものがいれば、休日に故郷の村に帰省するものもいる。そして、ウファのサマウリリー・リタイムの集まりへ出向き、伝統管楽器のクライの演奏を聴き、馬乳酒を味わう。こうして、伝統は忘れられた歴史の一章ではなく、今まさに生き続けていることを再認識するのだ。
今年もバシコルトスタン共和国の首都にサマウリリー・リタイム(サモワール・ダンス)の季節がやってきた。5年前に始まった時には、ほんの10人余りの若者たちがウファの河岸に集まり、お茶と音楽を楽しむだけの気楽な集まりだった。その後、2,000人以上の参加者を呼ぶ活気のあるイベントに発展した。このイベントがこのように若者たちの心を掴んだ理由は何だろう。そして、さまざまな民族的背景を持つ人々が集い楽しめる場所になったのはなぜだろう。
内輪の集まりから町をあげての祝祭へ
ウファのアギデル川の堤防沿いに、川にかかる霧の中を木管楽器クライの柔らかな音が響き渡る。即席のステージのそばには大きな湯沸器のサモワールが置かれ、ボランティアの人たちが火を起こす場所を作っている。バシキールの伝統衣装を着た若い女性たちがテーブルクロスを広げ、郷土料理のチャクチャクの皿を並べ、馬乳酒の瓶をテーブルに置く。若い男たちの中には、狐の尾がついた毛皮の縁取りのバシキール帽をかぶっているものがいれば、バシコルトスタン共和国の国旗を持ってくるものもいる。小雨にもかかわらず、人々は音楽の響きに導かれ、あっという間に何百人もの若者たちが集まってきた。
サモワールを囲んでのダンスパーティはバシキールの村々で昔から行われてきた。しかしバシコルトスタン共和国の都市部ではこのような集まりがあることは聞いたことがなかった。2020年6月17日、15人に満たない人たちがウファの河岸でのまさに最初のサモワールダンスパーティに姿を現した。「都市でティーパーティを開催するなんて、伝統を守りながらも未来志向に溢れていると思います」とこのダンスパーティの発起人の一人、ルスタム・アブドラザコフは振り返りこう続けた。「友だちを呼んだのですが、みんな気に入ってくれました。湯沸器に火をつけて、歌って踊ったんです。やがて集まる回数も増え、その度に参加者もどんどん増えていきました」。

サマウリリー・リタイムで踊るバシキールの人々 写真提供 デニス・ヤルムルジン/サマウリリー・リタイム 使用許可済
このイベントは隔週水曜日の夜に開かれる。アブドラザコフによると、大学進学のためにパシキールの村々からウファに引越し、次第にロシア語を話すようになっても母語が気になっている若者たちには、このように集まって踊りに熱中することは欠かせないのだ。それにこのイベントは友だち作りには絶好の場になると次のように語った。「ダンスパーティの時には、若者たちは3時間も4時間も自分の故郷の言葉を自由に話して過ごします。イベントは過去5年間にわたって続き、12組から13組のカップルが生まれました。彼らは今は子ども連れでやってきます。バシキール語をほとんど話せない若いバシキール人の都市住民も、自分たちの言語や文化や音楽に再び関心を持ち始めています」。
ウファでの最初のサマウリリー・リタイムに集まったのは50人に満たなかったが、今では1,000人、時にはそれ以上に増えている。ダンスグループ、ブロガー、音楽家たちがこのイベントに招待されている。会場では住民たちがお茶を楽しみ、ベシマルバック料理を試食し、詩を朗読し、バシキール語で伝統歌や現代の歌を歌ったりしている。
「帰ったとたんに一目惚れ」
ウファ出身のアリナ・ザヒドゥリナは、2022年にロシアを出てからSNSで初めてこのサマウリリー・リタイムのことを知り、故郷に戻るや否や参加し出した。彼女はこう語る。「もっと早くバシキールの文化に注目していたらよかったと思います。そして故郷に帰ってきて、恋に落ちたんです。人々が昔から伝わる歌だけでなく現代のアーティストの曲も取り上げていることに感動しました。この集まりで一番大切なことは、もちろん文化や言語を保護することです。というのは参加者の多くが若者で、次に自分の子どもたちに全てを受け継いで行くからです」。
イデル・グメロフもこのイベントの常連だ。彼が高く評価するのは、若者たちがアルコールなしでも楽しめ、全て無料であることだ。彼にとってはこのようなイベントは厳しい労働が続く日々を明るくする楽しい気晴らしになっている。
古い伝統を甦らせる
現在、バシキリアでは辺鄙な町でもこのようなイベントが開かれている。ウファの川辺で撮影されたビデオは何千回もの再生数を獲得している。しかし公的な援助を受けている集まりかどうかは不透明なままだ。主催者たちはイベントは全て寄付金で賄われていると主張し、公的援助について聞かれても「人々を挑発するような質問には答えない」として受けつけない。地域の文化省もこのイベントには関与していないと主張している。
バシキール語学習クラブを立ち上げたタンスルパン・ブラカエバはこう推測する。「だからこそ年齢や国籍に関係なくみんながここに集まるのです。国がこの行事を仕切ることになれば、即、国の都合の良い宣伝に使われるでしょう」。

サマウリリー・リタイムで踊るバシキールの人々 写真提供 デニス・ヤルムルジン/サマウリリー・リタイム 使用許可済
ブラカエバにとって、このようなダンスとお茶を楽しむイベントは、一種の郷愁であり古い伝統の復活でもある。彼女はこう語る。「バシキールの村々には、キスケユイン、クラーガ、リタイムといった伝統的なイベントがあって、若者たちの出会いの場になったり、一日の厳しい労働の後のくつろぎの場になっていました。そして戦争や悲劇が起こった時には、人々はタイビルラウという足踏みダンスで苦痛を忘れたのです。というわけで、現在のサマウリリー・リタイムは活動家たちのグループによって復活し、大いに広まっています」。
しかし市民が全てダンスに熱狂しているわけではない。サマウリリー・リタイムについてのメディア投稿を見ると、2022年2月のロシアのウクライナ侵攻後の現況をふまえてこのイベントは不適切だとするブロガーもいる。それに対して、「戦時下の雰囲気が続くのは耐え難いものだから、人々には現実を忘れることができる何かが必要だ」と反論する人たちもいる。






