
蓮の花が咲く穏やかな背景と、AIで生成した「老趙」。WeChatアカウント「老趙が道理を説く」から提供された画像。構成:オイワン・ラム。公正利用。
一見すると、老趙はまさに中国の親たちが信用しそうな人物のようだった。
彼のWeChatのアイコンは、スーツを着た品行方正な中年男性の姿だ。記事は蓮の花の穏やかな画像や大きなフォントで飾られ、家族のあらゆる悩みに答えてきた家庭相談回答者の厳かな語り口で書かれていた。
老趙のプロフィールは滑稽なほど華やかな経歴で飾られている。たとえば、2008年の「感動中国年度人物」の特別賞受賞者で、30年以上のキャリアを持つ親子関係の専門家として精力的に家族の支援を続けている、というふうに。
アカウントは「老趙が道理を説く(老赵讲道理)」と呼ばれていた。
だが老趙は男性ではなかった。中年でもない。子育て専門家でもなかった。
実は彼はスマートフォンとAIツールを使いこなす20代の若い女性だ。そして母親とのコミュニケーションがもう何年もうまくいっていない。
重慶に住む小尚は、1月、そのWeChatのアカウントを作成した。母親が絶え間なく送ってくる記事にうんざりしていたのだ。独身の女性や一人暮らしへの警告、テイクアウト食品についての不安をあおる意見、古い世代が無難だと考えてきた生き方に従わないことの危険性といった記事だ。何年もの間、小尚は直接答えようとしてきた。説明をした。反論もした。長文のメッセージも書いた。自分の思いを分かってもらおうとした。
だがうまくいかなかった。
それで彼女は、母親が信じそうな男性を作り出したのだ。
老趙の記事は、若者を「怠惰」「自分勝手」「結婚しない」「恩知らず」などと非難することはなかった。親たちの方を叱責した。ある見出しでは低収入や独身を恥の根源だとみなす親たちを批判した。ほかの見出しでは情緒不安定な親は子の人生をだめにすると警告した。また「子のプライバシーを侵害するな」「子らをほかの子と比べるな」「大都会から無理に実家に連れ戻すな」「結婚だけがまともな将来像ではない」などと親たちを諭すものもあった。
WeChatを拠点とするメディアのインタビューでこの活動を説明した時の小尚の言葉を借りれば、これは「魔法で魔法と闘う(用魔法打败魔法)」手段だった。
その魔法は、中国の家族内チャットに参加したことがある人ならだれにでも、すぐにピンとくるものだった。説教じみた見出し、威厳のある男性の声、そしてこのアドバイスひとつが家庭の秩序を回復するだろうという約束。だが今回に限っては、その矛先はいつもとは逆方向に向けられていた。
初日に小尚は18本の記事を投稿したという。それからこのプロジェクトについてSNSに投稿し、老趙に取り上げてほしい話題を若者から募った。
小尚のスマホの画面が着信を知らせ始めた。
若者たちからさまざまなアイデアが送られてきた。お勧めのフォント、画像、レイアウト変更やさまざまな話題などの提案があった。「小趙」はあまりに若く聞こえるので、威厳を増すように「老趙」とすべきだと彼らは言った。そして感謝でいっぱいの中年読者になりきって、老趙の記事の投稿欄をコメントであふれさせた。
ある者は「趙先生のお言葉を読んで目からうろこが落ちました」と書いた。
別の者たちは有名大学で老趙の講義に出席していたと言い張った。花束や親指を立てた絵文字をつける者もいた。ついに真理に気づいたという親のふりをする者たちもいた。すべてが、老趙は彼が主張する通りの人物であるという幻想を作り上げるのに役立った。つまり、家族関係について周りの大人に忍耐強く説明してくれる、賢明な熟年男性像を作り上げたのだ。
何週間かすると、アカウントのフォロワー数は20万を超えた。
このジョークがうまくいったのは、ほぼだれにでもすぐ分かるものだったからだ。
老趙のアドバイスはごくありふれたものだった。親は子のプライバシーを尊重すべきだ。子をほかの子と比べてはいけない。結婚で人の価値を計るべきでない。成人した子には自分で決断する余地を与えるべきだ。こうした意見は何年もネット上に出回っていた。娘たちは夕食のテーブルで、電話で、WeChatの結論のない長いメッセージで、そんな話をもう数えきれないほど繰り返してきた。
老趙の登場によって、これらの意見が聞き入れられる条件が変わった。
彼は中国の多くの親たちならよく知っている権威ありげな姿をしていた。自信に満ちて落ち着きのある年配男性の姿だ。老趙の記事は家族内WeChatグループで際限なく行き交う相談コラムのビジュアル言語を借用している。つまり蓮の花や大きなフォント、励ますようなキャッチコピー、経験豊富な年長者が家族のあるべき姿を説いてくれるという期待感だ。読者には既視感があるので、すぐにメッセージを理解できた。
老趙のアカウントは不快な疑問を投げかけた。議論そのものが持つ影響力はどのくらいで、それを伝える人物が持つ影響力はどのくらいなのか。
多くの中国の家庭では、信頼性はヒエラルキーに従うことが多い。親から子に話しかける。年長の世代が若い世代に助言する。意見の対立は専門家が解決する。各自が持つ経験が必ずしも同じように説得力を持つとは限らない。親の気にいらない選択について娘が説得する場合にはなおさらだ。
老趙はこのルールに逆らうことなく家庭内ヒエラルキーに入り込んだ。多くの若い女性たちが決して自分のものにはできないと感じる地位にいただけだ。
中国の家庭内グループチャットになじみのある人ならだれでも、このジョークを成立させている社会構造を理解できる。そこでは結婚や子育て、健康、成功についての匿名記事が、自信に満ちた見出しとともに毎日表示されている。その筆者は特定できないことが多い。出どころは不確かなままだ。にもかかわらず、そうした記事は、従ったほうが良いとされてきたアドバイスに似ているという理由だけで信頼を集め、並外れた説得力を持ってスマホからスマホへと拡散されている。
老趙はその形式をほぼ完璧にコピーしていた。読者たちが作成者を知るずっと前から、そのアカウントは信頼感を与えていた。
アカウントは人気を集め、すぐに風刺の域を超えた。親が子と一緒に閲覧するようになった。アドバイスを求める者もいた。ある祖母は孫娘との関係を修復するための助けを求めた。娘が老趙のある記事を家族内チャットで共有してから、このアカウントのせいで子らが親の権威に対して疑問を持つようになったとこぼす母親もいた。
突如として、小尚は全く予想もしていなかった質問に答えなければならなくなった。正確に回答できるかどうか、責任を持って書くことができるかと心配になった。ネット上のジョークが、あっという間に見知らぬ人々が長年の個人的葛藤を持ち込む場に変わってしまったことが不安だった。
この変化によって、アカウントでは収まらない大きな意味が明らかになった。
中国の変わりつつある家族関係についての対話は、経済を中心に展開することが多い。つまり、婚姻率の低下、住宅価格の高騰、若者の失業、子育て費用の上昇についてである。だが老趙はあまり注目されていない別の対立要因を示唆している。多くの若者たちは、自分が望む人生を説明できる言葉をすでに持っている。結婚を遅くしたい理由、自立して生活したい理由、心理療法を受けたい理由、実家から離れてキャリアを築きたい理由を説明できる。困難は、そうした説明を口にした後に立ちはだかるのだ。
それは小尚自身が経験している。彼女は、メッセージがいつもとは違った形で受け取られることを期待して、老趙の記事をひとつ自分の母親に送ったという。だが母は読むに値しない「面倒なこと」として無視した。これまでの長年にわたる対話と同じように、老趙の記事も母の考えを変えることはできなかった。けれども、すぐに何十万もの読者がこの経験を理解した。ひとつの選択について何度も説明しなければならない徒労感、気遣いがいとも簡単に支配に変わってしまうこと、自立しているかではなくむしろ従順かどうかで大人であると評価されるという感覚に、彼らも覚えがあるのだ。
老趙がこうした対立を解決することはなかった。だが対立を可視化したことで人気を得たのだ。多くの読者に、老趙のアカウントはつかの間の思考実験をもたらした。つまり、もし自分の言葉を、親たちが初めから信じる気でいる人物が伝えたらどうなるのだろうということだ。この問いは、個々のどの記事よりも、老趙のアカウントが広く共感を呼んだ理由を説明している。彼のアドバイス自体はありふれたものだった。だが家族が本能的に信頼できるとしてきた人物の声で語られたことで、いつもと違うと感じたのだ。






