· 8月, 2021

第一次カラバフ戦争(1988-1994)の後、ナゴルノ・カラバフの路傍に放置された装甲兵員輸送車 2014年撮影 写真提供(c):グローバル・ボイス

南コーカサスでくすぶっていた紛争の火種にまた火が付いた。9月27日、ナゴルノ・カラバフで戦闘が勃発したのだ。この地域の先行きは、相変わらずアルメニアとアゼルバイジャン間の緊張に左右されている。ソ連崩壊後、ナゴルノ・カラバフ内のアルメニア人はアゼルバイジャンからの独立宣言を発し、アルメニアへの合流を求めた。これを切っ掛けにして、新しく独立したアルメニアとアゼルバイジャンの間に悲惨な戦争が始まり、虐殺や民族浄化が行われた。そして、何十万人ものアゼルバイジャン系住民がナゴルノ・カラバフから追放された。1994年の停戦合意により、この地はアルメニア住民に支配された事実上の国家となり、同時にアゼルバイジャン領内のいくつかの周辺地域もアルメニア住民の支配下に置かれることとなった。

しかし、戦争がなくなったからといって平和が訪れるわけではない。ナゴルノ・カラバフは、アルメニアにとってもアゼルバイジャンにとっても歴史上重要な場所である故に、両国間の問題解決は簡単にはいかない。両国民は昔から憎み合っていたのではない。両民族社会が共存してきた長い歴史は、これからの時代の手本としての性格が益々増しているようにみえる。交渉がギクシャクしている間に、軍政も地域社会もそれぞれの地歩を固めている。アルメニアにとって民族自決の原則は最重要である。アルメニアは、ナゴルノ・カラバフに対して他国の目も顧みずあからさまに政治的かつ軍事的支援を行っている。一方アゼルバイジャンは、ナゴルノ・カラバフを本土と一体化させることが最重要課題だと主張している。この主張は国際社会が認めたことであり、ナゴルノ・カラバフおよび周辺の領土をアゼルバイジャンの管理下に戻すべきだと明言している。

ナゴルノ・カラバフに平和監視部隊がなかったため、停戦協定後も数十年にわたり、この地で紛争が再発した。事実、アルメニアとアゼルバイジャンのそれぞれの国境沿線で敵対行為が何度も繰り返された。2016年の激戦ではアゼルバイジャンがナゴルノ・カラバフの山岳地帯にある戦略上重要な高原を手に入れるという結果になった。最近の衝突は全面的な戦争である、とすることには疑う余地がない。アゼルバイジャン軍が南部カラバフで武装攻撃を仕掛け、ナゴルノ・カラバフの首都ステパナケルトを砲撃した。一方、カラバフ内のアルメニア人武装集団は、ギャンジャなどのアゼルバイジャン側の都市を攻撃した。しかし、次々と情報が集まってくる状況の中で誤った情報が横行している。両者は自国に有利なことは大げさに伝え、不利なことは控えめに伝えている恐れがある。

誰からも誤解されることなく言えることは、今、カラバフで起こっていることは、1994年の停戦以来、両者の間で起こった最悪の衝突であるということである。周辺諸国を巻き込み何千もの市民の生命や生活を脅かす恐れがある。しかし、停戦はしたものの平和を維持することができなかったように、どちらかが戦場で勝利したとしても平和を維持することはできない。交渉による終息はあるのだろうか。アルメニア人とアゼルバイジャン人は、かつてのように、カラバフで共に暮らすことはできないのだろうか。銃声が聞こえなくなったとしても、また、すぐ数年後には銃声が聞こえるようになるのだろうか。そして、戦争で疲弊した地域にさらなる悲劇がもたらされるのだろうか。周辺諸国やその他の国は、直接的であれ間接的であれ、紛争の動きの中でどのような役割を演ずることができるのだろうか。

記事 ナゴルノ・カラバフ紛争はこの地域の政治にどのような影響を与えているのか from 8月, 2021

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