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ウイグルのために オランダで中国を相手に単独の抗議活動

カテゴリー: 東アジア, オランダ, 中国, デジタル・アクティビズム, 人権, 宗教, 市民メディア, 抗議, 検閲, 民族/人種, 移住と移民, 言論の自由

アブドゥリム・ゲニ氏がアップしたYouTubeの動画 [1]から。ゲニ氏は消息不明の家族への支援を求めている。

安全上の理由から、著者は匿名とさせていただきます。

2017年 [2]以来、中国のウイグル人コミュニティーに対し、中国政府はたび重なる弾圧と無差別な収容を行ってきた。人種と宗教により選別を行う政策によって、多くのウイグル人の若者は中国を去り、主にヨーロッパで亡命生活を送っている。中国西部の新疆ウイグル自治区 [3]に居住する1,100万人のウイグル人 [4]は、イスラム教徒のテュルク系民族で、2012年に習近平が最高指導者に就任して以来、政府からさらに組織的な弾圧を受けてきた。ウイグル人は、政府の声明やメディアなど中国の主な論説において「分離主義者」 [5]や単に「テロリスト」 [6]として扱われ、信教や居住移転の自由、母語の使用といった基本的人権 [7]を侵害されている。

ウイグル人の迫害は様々な形態をとる。しばしば10年以上の長期の禁固刑によるものや、最近では施設への強制収容によるものがある。多くの証言や情報源によると、施設では100万人以上のウイグル人 [7]とその他の少数派イスラム教徒が拘束されているという。政府が「職業訓練センター」 [8]であると説明する強制収容施設を取り巻く秘密性のため、正確な人数は不明だが、何百人 [9]、ことによると何千人もの人々が収容中に死亡したと推測されている。詳細はshahit.bizの「新疆の犠牲者データベース」 [10]で確認できる。

グローバル・ボイスは、新疆ウイグル自治区南部アクス地区 [11]出身のアブドゥリム・ゲニ氏(43歳)にインタビューを行った。ゲニ氏は現在オランダで生活しており、2018年6月からアムステルダムの中心部において一人で定期的に抗議活動を行っている。

インタビューは電話でウイグル語を用いて行われた。インタビューの内容はこの記事では簡潔に編集している。

家族と音信不通に

ゲニ氏は教養のある人物だ。大学を卒業後、故郷のアクスで数年間化学の教師を務めた。しかし、ウイグル人への差別によって国を追われ、2007年からオランダで生活している。

 彼が最後に家族と会ったのは、2014年トルコでのことだった。それほど遠い過去の話ではないが、現在とは全く別の時代のことのように感じられる。簡潔に説明すると、2014年頃は中国政府がウイグル人に対する抑圧を緩めた時期だった。それ以前は正当なコネクションのないウイグル人が外国旅行のためにパスポートを取得するのは常に困難だったが、この時期は比較的容易であった。しかし、ゲニ氏にとってこの表面的な緩和は2017年5月23日に突然終わりを迎えた。彼はグローバル・ボイスにそう話す。

Since that day I have lost contact with all my relatives in China. Before I could always contact them by phone. May was the fasting month of Ramadan, so I tried to call everybody back home, but strangely, no one picked up. At first I thought they were all busy because of the festivities. At last my father answered the phone. He said: “Don't call us again. Just take care of yourself and your children.” Then after a few days I got a text message from my brother in which he wrote “You must not call us again! Don't contact us under any circumstances!” I was so confused. We didn't know anything about the camps or the intensified crackdown on the Uyghurs by the authorities. By the end of the year, we had heard about the camps, and from 2018 bad news just kept coming, each new piece of information worse than the last.

その日以来、私は中国にいる全ての親族と音信不通になりました。それまではいつも電話で話すことができました。5月は断食を行うラマダンの月だったので、故郷にいる皆に電話をかけました。しかし、奇妙なことに誰も電話に出なかったのです。初めは行事で皆忙しいのだと思っていました。最後には父が電話に出ましたが、こう告げたのです。「もう電話をかけてくるな。お前自身と子どもたちのことだけ心配しておけ。」と。その数日後に兄弟からテキストメッセージが送られてきました。「もう電話をかけてこないでくれ! どんな状況であれ、俺たちに連絡をするな!」と書かれていました。私はひどく混乱しました。当時、私を含め人々は、収容施設や政府によって厳しさを増すウイグル人の取り締まりについて何も知りませんでした。その年の終わり頃になって収容施設について耳にするようになり、2018年からは悪いニュースが次々と報じられるようになりました。ニュースの情報はどんどん悪いものになっていきました。

音信不通になっている17人の家族について情報は全く入って来ず、ゲニ氏は最悪の事態を恐れている。

Did the Chinese regime kill them all? I´m missing my father, stepmother, my brothers, my sisters in law and their children, my wife's siblings. They are all ordinary people, law-abiding citizens. My father is a retired bank manager, my older brother a businessman, and my younger brother used to work for the government at the Water Agency in our hometown in Aksu prefecture.

中国共産党は私の家族を皆殺しにしたのでしょうか? 私の父、継母、兄弟、義理の姉妹、その子どもたち、妻の兄弟姉妹、皆が恋しいです。彼らは法律に従って生活する普通の市民です。父は銀行の支店長でした。兄はビジネスマンで、弟は故郷のアクス地区の水道局で政府のために働いていました。

単独での抗議活動という型破りな行動

一人でデモ活動を行うことは、ロシアでは一般的だが(法令で、2人以上が関わるデモ活動は警察の許可が必要と規定されているため)、西欧では珍しい。しかし、この方法を用いて、ゲニ氏は自身の家族と、新疆にいる親族と音信不通になった数千人のウイグル人の運命のために声を上げることを決断した。

当初、ゲニ氏はアムステルダムでウイグル人の集会に加わり、反中国のスローガンを唱えていたという。しかし、彼は思い知らされた。

I noticed that of the bystanders, no one came up to ask us who we were or what we were demonstrating for. It seemed like no one cared, and that we were just doing this for ourselves. Some time later, I saw a man standing all by himself on Dam square, with signs and folders to raise awareness of the Palestinian issue. I saw people coming up to him to talk and ask questions. I did the same, and got to know him. This way I realized that a dialogue seemed like the best way for me to raise awareness of how the Chinese regime is oppressing Uyghurs, including my family. 

私は、見物人の中から私たちに近づいて来て、私たちが何者なのか、何のためにデモを行っているのか尋ねる人が誰もいないことに気付きました。誰も関心を持たず、私たちは自分たちのためだけにデモを行っているようでした。それからしばらくして、パレスチナ問題の関心を高めるための看板やパンフレットを持って、たった一人でダム広場に立っている男性を見かけました。人々は彼のもとに集まり、彼に話をしたり質問をしたりしていました。私も同じように彼と話をし、彼について知ることができました。この時、対話こそ、中国政府がいかにして私の家族を含めウイグル人を抑圧しているのか、世間の関心を高める最良の方法ではないかと気付きました。

2018年6月23日以降、新型コロナウイルス感染症の流行がオランダを襲った2020年の春まで、ゲニ氏は毎週末一人で抗議活動を行った。彼のフェイスブックの動画 [12]で確認できる通り、ゲニ氏は7月13日に活動を再開させた。そして、新しい支援者を獲得した。その中には外国の大使も含まれる。

‪Today, the US ambassador in the Netherlands, Mr. Pete Hoekstra, met with Uighurs in the Netherlands to hear about the…

Posted by Abdurehim Gheni Uyghur [13] on Wednesday, July 15, 2020 [14]

今日、駐オランダ米国大使のピーター・ホクストラ氏がオランダに住むウイグル人たちと会い、話を聞いた・・・

Abdurehim Gheni Uyghur [13]による投稿 2020年7月15日 [15]

彼はもう一人ではないと言う。「私はウイグル人についてそれまで何も知らなかった多くの人たちと話してきました。そのうち2人は現在私とともに広場で抗議活動を行っています。」

ゲニ氏は表舞台に立ち続けることを決めた。彼はオランダの国王、首相、外務大臣に手紙を書き、家族の所在に関する情報収集への協力を求めている。また、shahit.bizの「新疆の犠牲者データベース」 [16]に英語の字幕付きで動画をアップしている。

ゲニ氏はインタビューをこう締めくくった。「私は知っています。もし今も中国で生活していたら、収容施設に入れられ、刑務所に送られ、死んでさえいただろうということを。しかし幸運なことに、外国で生きることができています。ですから、私はこのチャンスを声なき人々の声として捧げようと思うのです。」

新疆ウイグル自治区での少数民族の迫害についての他の記事はこちら [17]をクリック。

校正:Moegi Tanaka [18]