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ナゴルノ・カラバフ手前のアゼルバイジャン側終着駅は静寂に包まれている 炸裂弾の攻撃を受けなければの話だが

カテゴリー: 中央アジア・コーカサス, アゼルバイジャン, 市民メディア
Photo taken from Chai-Khana.org and used with permission.

Chai-Khana.org提供 [1]の画像 使用承認済み。アゼルバイジャン大統領イルハム・アリエフの写真の前に置かれた机で執務するラファエル・マンマドフ。この記事で使われてる写真は全てChai-Khana.orgの使用許可済み。

下記は、イルキン・ハサノフが執筆して、当初ウエブサイトのChai-Khana.org [2]に投稿した記事である。グローバル・ボイスとの提携 [1]に基づきここに掲載する。
アゼルバイジャンのタルタル県にあるコチャーリ駅は、旧アゼルバイジャン・ソビエト社会主義共和国時代の年から営業を続けており、アルメニアと領有権をめぐり争っているナゴルノ・カラバフ地域に最も近い駅である。
ナゴルノ・カラバフの領有権をめぐるアルメニアとアゼルバイジャン間の戦争が1988年に始まる以前は、250km離れた首都バクーからこの駅を通り、カラバフにある終着駅ハンケンディまで旅客と貨物を運んでいた。
停戦協定が調印された1994年以降、アゼルバイジャンの鉄道網の終着駅はコチャーリ駅となり、それからは旅客輸送のみに使われた。
コチャーリ駅駅長のラファエル・マンマドフによると、この鉄道は、ソビエト時代ほどの本数はないが、今も、毎日利用する人がいくらかいるということである。夏季には休暇でバクーやその他の居住地から帰省する大学生を故郷へ運んでいる。

紛争が最も激しくなった時期には、コチャーリ駅は避難民のための医療施設およびシェルターとして使われた。カラバフから避難してきた人々は、最近まで貨車の中に仮住まいしていた。彼らは、3年かけて新しい居住地へ移住したが、多くの所有物は残したままだった。
2つの国の軍事境界線間近にある駅を利用したこの避難場所は、2016年4月のいわゆる「4日戦争」で被害を被った。炸裂弾が駅舎近くに落ち、窓を粉々に砕き屋根には亀裂が入った。しかし、それ以前から、この駅舎は修理が必要な状態であった。
雨が降ると、雨滴が天井から駅舎広間に落ちてくる。駅は軍事境界線の近くにあるので、ガス管は敷かれていない。冬に停電になると、駅舎は極度に寒くなる。

校正:Shigeru Tani [9]