古写真に見る、西洋が見た日本

 

old photos of japan

1886年頃の日本。フリッカーユーザーyves Tennevinの画像転用。パブリック・ドメイン。

フリッカーユーザーyves Tennevinは、興味深い写真 を見つけ出し掲載している。開国まもない、19世紀以降の日本を写した手彩色写真だ。

写真はすべてパブリック・ドメインとして共有されており、イタリア生まれの初期写真家 アドルフォ・ファルサーリが、1880年代後半の日本を撮影したものと推定される。ファルサーリの写真の多くは手彩色、彼が滞在していた19世紀後半の日本で主流だった技法だ。

ファルサーリが日本の津々浦々を訪れ、目にしたものほぼ全てを記録におさめたことが彼の写真からわかる。

1886年頃の日本。フリッカーユーザーyves Tennevinの画像転用。パブリック・ドメイン。

明らかに、ファルサーリの写真の多くは演出されている。つまり彼が描写したのは、必ずしもありのままの日本というわけではない。日本人が知る日本を映し出したというよりは、諸外国が開国したばかりの国を知るのに一役買ったとういことなのかもしれない。

残念ながら、ファルサーリの写真には説明がないものもあるため、どこで撮影されたのか判断が難しい。

1886年頃の日本。フリッカーユーザーyves Tennevinの画像転用。パブリック・ドメイン。

庭園を楽しむ日本人の自然な様子を写したのか、ファルサーリが写体にポーズを頼んで撮った写真なのか判断が難しい。

1886年頃の日本。フリッカーユーザーyves Tennevinの画像転用。パブリック・ドメイン。

横浜を撮影したとみられる写真。この写真が撮影されるわずか30年前、横浜は静かな漁村だったのだろう。

1886年頃の日本。フリッカーユーザーyves Tennevinの画像転用。パブリック・ドメイン。

ファルサーリは都市から遠く離れた場所にも足を延ばし、田舎で暮らす人々の日常の様子をカメラに収めた。

1886年頃の日本。フリッカーユーザーyves Tennevinの画像転用。パブリック・ドメイン。

ファルサーリのために、船を出すポーズをとる漁師とおぼしき男たち。

1886年頃の日本。フリッカーユーザーyves Tennevinの画像転用。パブリック・ドメイン。

ファルサーリの写真の多くは、日本のどこにでもある、日本らしさを映し出しているのかもしれない。

1886年頃の日本。フリッカーユーザーyves Tennevinの画像転用。パブリック・ドメイン。

ここでご紹介した以外にもファルサーリの写真が多数、ネット上の様々なサイトで公開されている。 長崎大学附属図書館蔵のファルサーリコレクションには、撮影場所を記述した説明文がついている。

ファルサーリの写真が気に入った方は、日本人写真家江南信國が同時代に撮影した日本の古写真 もご覧になってみては。

校正:Maki Ikawa
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