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バーレーン:結婚相手は宗派で選ぶ

Coolred38はバーレーンに住む米国人のイスラム教徒だ。彼女は、それは間違いだと思うことや、有害ではないかとすら思える行為を宗教が正当化していることに憤っている。ついこの間、友人に起きた「スキャンダル」について投稿した

要するに、スンニ派の女性とシーア派の男性が5年以上もつきあっていた―密かに。2人とも、家族の反応がわかっていたから言えなかったのだ。そう心配するということは、周囲から祝福される結婚をするか、それともたった一人で結婚するかを選ばなくてはいけない。 ・・・つまるところ、そういう話だ。男性は、家族から話しかけられなくなった。女性は、家族から見捨てられてしまった。こうした嫌悪感も、怒りも、何に向けられているのかというと。 ・・・彼がシーア派で、彼女がスンニ派だからなのだ・・・。
 どちらもイスラム教徒なのに。私は、この2つの宗派を分かつ、永遠に続くほどの敵意にいつも愕然とさせられる。怒りと敵意、相手は真っ当なイスラム教にしたがっていないという主張。私が思うに、一「宗派」になってしまったその瞬間、どちらも真っ当なイスラム教に従っていないことになってしまう。イスラム教はイスラム教徒を一つにするものなのだから・・・。 それぞれのコミュニティを、同じ理解のもと、同じ信仰のもとに一つにまとめるはずのものだから。非イスラム教徒と交わる場合は別として、イスラム教徒を、少なくともお互いに一緒にいて安心だと思わせるはずのもの。神は、私たちを結びつけ、平和のうちに生きるために、私たちを導くものとしてコーランを与えたもうた。何が正しいのかを常に理解し、それに基づいて行動できるように。それなのに、ほとんどのイスラム教徒は、同じイスラム教徒を分断しながら一生を過ごしている。それも、文化という名目で。スンニ派がシーア派と結婚することは、文化的に受け入れられないことであり、その逆もまたしかり。神は、イスラム教徒にそうした結婚を禁じてはいないのに。 ・・・もし私たちがアハル・アル・キタブ(啓典の民)と結婚できるのだったら、同志であるイスラム教徒と結婚できても当然ではないか。なのに、イスラム教徒自身が、イスラム教徒同士の結婚を禁じる「法律」を作ったなんて・・・ 人のエゴはとどまるところを知らないってわけだわ。女性の家族は、キレて、娘(あるいは相手の男性)に暴力でも振るうんじゃないかと思っていた男が、両家の全イスラム教徒の中で最も分別があって、真っ当なイスラム教徒だということを知った。この悲劇的な知らせで、彼の眼から火花が散って、考えるまでもなくちょっとしたジハード(聖戦)をおこすのではないかと思い、びくびくしながら、女性の母親がこの「がっがりする」知らせを聞いて彼(彼女の父親はもう亡くなっていたから、叔父が保護者だった)に話すと、その叔父は、誰もがびっくり仰天するようなことを言った。もし姪っ子がその男を愛しているのであれば、彼女が選んだ夫を誰が否定できようか、と。 私は、イスラム教徒であるこの男性に畏敬の念を抱いている。自らイスラム教徒だと公言し、その通り行動しているのだから。イスラム教徒のほとんどは、そのようには行動しないだろうに。 ・・・私は、この新婚カップルの将来に幸あれと祈らずにいられない。そして、多くのスンニ/シーア、あるいはシーア/スンニの結婚では見られないような愛情が、二人の生活を満たすことを。神がこの結婚を祝福してくれますように・・・ 同士であるイスラム教徒が祝福しないとしても。

Gardens of Sandは、同じような例をいくつも知っているとこの投稿にコメントした。

こんな敵意が未だに続いているなんて情けないことだ。私は、自分はイスラム教徒だと思っているけれど、父はシーア派だし、母はスンニ派だ。 ・・・私の親友は、スンニ派と付き合っていることを母親に話したら、靴で殴られたらしい。別のスンニ派の友人の
いとこは適齢期で、シーア派の男性と結婚することを強く望んでいる。こんな話ならいくらでもある。悪いのは派閥だと言い、あるいは、派閥は関係ないと言いながら、相手を非難し、派閥に執着するような人たちに、一体どんな言葉をかけたらいいのだろう?

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