日本:かつて差別をしていた人たちの告白

hinomaru
世界中で、他民族や他文化に対する差別が、争いや憎しみの元になっている。どのように差別は生まれるのだろうか?そして、どうすれば差別をやめることができるのだろうか?かつて差別的な言論を信じていた人たちの勇気ある告白から、差別を減らすためのヒントを探ってみよう。

新しきOC-MANは孤独のなか癒しを求める過程で中国や韓国に対する偏見を信じ込むようになったと語っている。

幸い、新しきOC-MANは自分で差別的なサイトに書かれていることがおかしいと気づくことができたようだ。

河合つくしによると、寂しさに加え、皆が知らない情報を自分を知っているという感覚が差別的な言論にのめりこむ要因になったそうだ

さみしかったわけだ。暇だったのもある。だからネットに熱中した。当時はやり始めていたまとめサイト。あれを読むとね、学校やテレビでは「得られない情報」に触れることができたんだと当時は思った。そしてそういう情報を見知らぬ「誰か」だったとしても、共有できるのはうれしかったな。しかも天下国家を論じる話ばかりだ。自分が偉くなった気がしたね。
[中略]
あの当時の自分は、韓国の人を馬鹿にした、あるいはもっと酷い言葉でののしられた文章を見てもなんとも思わなかった。単に罵られている側の人を知らなかったからかもしれんが…自分と違う世界に住む人が何を言われようが、正直どうでもよかったんだと思う。

交流する人の幅が広がり、読書を通して真摯に生きる人たちの姿を知ることで、差別的な考えから脱することができたと河合つくしは語っている。

俺がネトウヨを辞めた理由は、3つある。
一つは、一応大学に入れてもらって…今度こそ友達を作ろうとして、いろいろと自分なりに努力したから。
[中略]
見知らぬ人と情報を共有してさみしさを紛らわせる必要もなかった。
二つ目は、たくさん本を読んだからネトウヨ的な考え方がばかばかしく思えるようになったこと。 ネトウヨ時代に見聞きした、愛国サイト、いかがわしい書き込み、そして「保守本」(日本は素晴らしいからこの国を愛そうみたいな)とは違う種類の本を読んだ。自分が特に熱中したのは、昭和維新の生き残りの人の本とプロレタリア文学の人の本だ。詳しくは触れないけど…あの人たちの本には「なぜ自分がこの国を愛そうとおもったのか」とか「なぜ自分が貧しい人々を救いたいのか」が明確に書かれた。昭和維新の生き残りの方でいうならば、軍人として戦場で戦った経験、貧しい部下の新兵の家庭の事情を知ったこと…とかかな。プロレタリア文学ならば、自分が労働者として実際に働いた経験、そこで見聞きした経験なんかが克明に描いてあった。そういう経験を踏んだうえで、今の世の中は間違っている、だから正さなきゃならないんだ…とちゃんと書いてあった。
[中略]
そしてもう一つ…。それは俺が障害者施設にかかわり始めたこと。
[中略]
見た目は、涎を垂らしているような人でも、何度も話すうちにこの人にも趣味があるんだなーとか、家族がいるんだよなーとか…そういうことを思うようになった。結局ね、見た目は違っても、あるいはできることが違っても、人間ってのはどこかしら似たようなものなのだと…なんとなくだけど気づけた。

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