See all those languages up there? We translate Global Voices stories to make the world's citizen media available to everyone.

ジャマイカ:ブログ・アクションデー「警察は何ができるか」

彼が殺されたことにより、私に何かが起きた。この不当で残虐な権力の乱用に関わっていたからか、私の心は引き裂かれたように苦しかった。私はその兵士の所属する隊の代表として、恥、怒り、混乱を同時に感じた。被害者は病気で知的障害を抱えており、役立たずであったために殺された。私は気分が悪くて胃に穴が開きそうだった。

これは元警察官が、近日中に出版される暴露本に執筆した言葉だ。この本には、ジャマイカ内の警察の権力の乱用について書いてある。今年度のブログ・アクションデー、もしくはJAブログデーのディスカッションのトピックとしてジャマイカ人のブロガーたちが選んだのはこのような超法規的殺人である。彼らが記念日として選んだ日は、くしくも「すべての守備隊の母」として評判をもつキングストン騒擾三周年目だ。治安部隊は、銃弾や麻薬の不正取引の容疑でアメリカへの引き渡しを要求されていたクリストファー・ドドス・コークを探し回ったが、キングストン(ジャマイカの首都)での緊急事態が収まるまでに、死亡者数はどんどん増えた。ほとんど一ヶ月もの間コークを拘留できなかったことと、命の損失により、民衆の世論は治安部隊反対に一変した。

このイベントに投稿されたお知らせの中で、Cucumber Juiceはいくつかの事件に触れながらこう言った。

ここで言う「警察」は「治安部隊」と言っていいでしょう。なかなか厄介なトピックです。恐怖のため、この問題について話題を出すことに抵抗を感じる人も多いでしょう。しかしジャマイカでは、治安部隊と市民に関わる疑わしい事件が数多く頻繁に起こっているということは、明白な事実です。告訴局長はこの問題の対処に興味持つようすも真面目に取り組むようすもなく…それどころか問題があることすら認めたがらないようです。このような出来事が、このごろ頻繁に起きているのです。厄介です。恐れを感じる人もいれば、怒りに震える人もいます。ほとんどの人が心配になっています。

冒頭の引用文で紹介された殺人は、Active Voiceでは「私たちが今直面している問題の基準だ」とされており、この記事の文脈に置かれている。

ボブ・マーリーの「戒厳令下で目を覚ましたら『残忍という服』を身に纏った警察に包囲された」という有名な歌詞から、ラヴィンダーのBabylon Boopsというコミカルな歌まで…。ジャマイカで”Babylon”と呼ばれることの多い警察は、論評や風刺のテーマとしてよく扱われてきました。

The official Jamaica Blog Day banner; image courtesy JA Blog Day.

JAブログデーの公式バナー。画像はJA Blog Dayの提供による。

5月23日(訳注:ブログデー当日)には、解説記事が次々に投稿された。Cucumber Juiceも次のように書いた。

JCF(ジャマイカ警察)とJDF(ジャマイカ自衛隊)には、しばしば殺人に到るような司法外行為を犯しながら罰を逃れる者があまりに多く、それに甘んじている私たちだって、同胞を見殺しにした共犯です。別の表現をすると、自分の指を引き金にかけているようなものなのです。

数人のブロガーはマシュー・リーの事件について触れた。Active Voiceは彼のことをこう解説した。

ある日気前のよい男の子が、恵まれない二人の友達を車に乗せてあげていました。富裕層のコミュニティを通りぬけたとき、警察が彼らに襲いかかりました。そして、いつもの物議をかもす「衝突」の後、三人とも白昼に射殺されてしまったのです。

彼女は続けた。

マシュー・リーの例を挙げたのは、彼が、長らく警察との衝突の犠牲者になり続けているような、スラム街の若者ではないからです。中流家庭出身の、ジュニアホッケーの元・チャンピオンである彼は、堅実な市民であるにもかかわらず、警察は彼を殺すことに顔色一つ変えませんでした。これは新しい境地に達したことを意味します。エリート的立場にいれば地域にはびこる暴力を回避できると思っている人は、特に注意してください。Keith Clarkeに明け方、マシュー・リーに真っ昼間起こった出来事は、いつでも好きな時にあなたや私のもとにもやって来るでしょう。ジャマイカの貧民がいつでも知っている現実へようこそ。警察や国軍は制御されていません。彼らは手がつけられない状態です。「ワシらを殺すオマエらにワシらが金を払ってる」、こうした不運な市民の一人が言ったように。

Cucumber Juiceは「Twitterのタイムラインで面白いものを見つけた」と言った。

当初は、わりと多くの人が警察の行動に賛同するツイートをしていました。彼らの目には、警察がさらにまた別の犯罪者の処分に成功したように見えました。皮肉なことに、その指名手配されていたDyer氏は、(訳注:保釈中の義務などのため)毎日出頭している警察署に向かっている途中だったようです。そして集中砲火を浴びた残りの二人は、単に誤射されただけであるかのように映っていたのです。お気の毒に。ひどすぎます。おかしなことに、最初のころ流れたニュースには、どれもマシュー・リーが間違った時間と場所で捕まったというものばかりでした。その後、ツイートしていた何人かが、マシュー・リーは知り合いの兄弟だということに気がついたのです。ああ!このマシュー・リーはあのマシュー・リーなのか!彼はもはや無名ではなくなりました。すぐに警察を支持するツイートは止まったか、見方を変えました。警察による殺人と個人が結びつきました。そして突然、非難の声が起こりました。

彼女はこう解説する。

私の考えでは、警察が引き金を引いたから責任をとるべきだと思いますが、マシューたちの死のことで非難されるべきなのは彼らだけではないと確信しています。警察や国軍がこのような行動を続けるのは、それが許容されているからです。あまりに多くのジャマイカ市民が賛同し続けていることが、彼らの行動を支えているのです。警察や治安部隊の悪習の存続が可能なのは、社会の中で問題と見なしていない人があまりに多いからです。もちろん、それは彼らに影響を与えるほどなのです。

Ian Lloydが警察官に殺された(彼は後にその殺人について無罪となる)時、彼の死の瞬間を捉えたビデオで忘れられないのは、警察を支持する大衆の拍手喝采です。その警察官が無罪となった時、熱烈な支持が繰り返されました。Lloyd氏のいた地域の人々は、彼が地域へのテロ行為などたくさんのことで有罪だと思っていたので、彼の死は正当だと見なしました。その地域の人たちは、警察が彼らをいろいろな罪で有罪の、地域社会の除け者として扱いに来ても、同じような気持ちでいられるのでしょうか。

この記事は、最初の段階でブログ・アクションデーを動機づけた、大虐殺についても扱っている。

2010年の5月にチボリで殺された73人以上のことに、たくさんの人が折り合いをつけようと努めています。同様に、私がますます混乱しているのが、2010年5月に殺された人々は死んで当然だったという見方をしている人がいることです。彼らが自分の地域に立てこもってから、撤退命令が出たがそこから離れずに、コーク氏や彼の悪行を支持し、国家に対して反抗的な態度をとりました。警察や国軍が正義で裁くことを、どちらでもふさわしいと見なすそのような姿勢は、私には強調しきれないくらいに危険だと感じます。これは本当に正義なのでしょうか。警察と国軍が2010年5月にチボリに向かった時、その地域に抗戦がなかったと考えるほど、私はうぶではありません。しかし73人の命の消失が、必然的な結果や巻き添え被害として片付けられて良いとは思えません。私たちの意識から、73もの命が簡単に忘れられるものでしょうか。そんなはずがありません。よく考えずに、私たちの自由と社会の健全性を進んで譲れるわけがないのです。

問題は、警察と治安部隊の権力乱用は、いずれかの方からではなく、アメリカから始まったということです。私たちは住んでいる地域、社会、付き合いや、間の悪い時に間の悪い場所にいるからという理由で、人の命を軽視することが許される社会をつくり、その状態を続けてきました。私たちが構築し育て続けたのは、大きく華々しいけれど不公平さは蔑ろにされる社会です。警察や治安部隊の悪習がこんなにも多いことは、私たちがいかに同胞の命を軽視しているか、また(恐らく気づいていないでしょうが)いかに私たち自身の命を軽視しているかを、明らかにするものでしかありません。

この日は、他にもたくさんの面白い投稿で埋め尽くされていた。そのうちの一つは、JCFの一員に匿名でこの問題について話してもらったものだ。こちらのものは、「何がこの事態の原因となっているのか」とジャマイカの人々に思い出させ、またこちらの嘆願は双方の調和を求めて、こう言っている。

私たち警備員のほとんどは邪悪な獣ではないと申し上げたい。そうだと思いたくなるような隊員もいますが。同様に、都心のスラム地域の住民だって、大多数は犯罪者ではないのです。私たちにそう思わせるような住民もいますが。私がこうやって言えるのは、双方の立場の個人的な経験があるからです。

何人かの治安部隊員の逸脱行動は、もっと総合的に見てもらいたいです。法律に従う市民として、自分から行動を起こすことを、僭越ながら提案します。まずは法規を尊重し、規律正しく行動し、自分たちの都合の良い不正行為の支持をやめることから始めませんか。私にも罪があるから、このように言っていると留意してください。

この機に転じて「我らが警察官の並はずれたの献身と度胸」と称賛する人もいれば、なぜジャマイカの社会では、国軍の悪習がこんなにも問題になっているのかを調べたビデオブログもある。この刺激的な投稿は、Charmaineによるものだ。善良な警察官もいることを知っていて、彼女のおじもまたその一人なのにも関わらず、彼女は警察を恐れている。

私が警察について考える時、30年以上善良で誠実な警察官をして勤めたおじのことを考えます。その次に思い浮かぶのはマシュー・リーです。若者は、私と同じように馬鹿げたことをします。善人悪人関係なく、人を進んで助けようとするんです。

ジャマイカ警察と軍がNYPD(ニューヨーク市警)の暗黙の了解を繰り返すのに没頭していますが、メッセージを出してよい警官たちに脚光を浴びせなければ、悪党の行為にしか焦点が当てられないということに、彼らは気がついているとは思えません。

そして私のように勤勉に働く有権者は、悪漢と同じくらい警察を恐れています。

これらの投稿作品は、すべてJAブログデーで見ることができる。イベントのTwitterを見るにはこちらから。

この記事に使われたサムネイル画像Michael Thompsonのもので、クリエイティブ・コモンズの表示・非営利・継承の条件下で使用されている。Flickrに掲載されているMichael Thompsonの作品はこちらから。JAブログデーのバナー写真は、Jamaica Blog Dayのご厚意によるものである。
校正:Yuko Aoyagi