マヌエル・ルエラスはメキシコ西部ハリスコ出身の芸術家で、みんなからはファセと呼ばれている。その作品は大量消費、民族移住、自分たちの土地と言った話が出会う交差点から生まれてくる。風刺が効いて、意味深長なファセの作品、その作風は先コロンブス期の美術と、どこででも目にする大衆文化の混交体だ。ファセの作品は第6回シークルラーランド・グラフィック・ビエンナーレ2020、メキシコで開催された第2回ルーメン・アート・ビエンナーレなど国内外の展示会に出展されている。
ファセの作品が影響を受けたTGP(大衆版画美術工房)はメキシコ現代芸術の金字塔であり、レオポルド・メンデス、パブロ・オヒーギンス、ルイサレナル・バスタールなど多くの版画家を輩出した。またメキシコの誰もが知ってる象徴や身近な事柄を扱った版画作品を通して、階級闘争を広く伝える役割を果たした。
彼の絵の魅力はチカーノアートにも通じるように思う。チカーノアートとはメキシコ系アメリカ人にとっての社会や民族意識を考える運動で、表現手段として宗教、政治そして土着的象徴がよく用いられる。一方で作品の様式はドイツ表現主義の影響を受けていると本人も述べている。
ファセの主宰するバランカ・グラフィカ・ワークショップギャラリーはオフィスを2ケ所、画廊1カ所構え、そこを自分の創作の場としている。メキシコオフィスはメキシコシティでも1番に文化の香り高いコンデサ地区にあり、アメリカオフィスはカリフォルニア州オークランドにある。ファセは現在オークランドに居住して両方のオフィス運営している。
1年前、筆者はメキシコのバランカ工房で画作機会があり、その時ファセと知り合った。彼の作品や美術的展望を形造っているのは何なのか、このたび話を聞くことができたので披露したい。
アレハンドロ・バラート (以下AB): どの作品も愉快な風刺が一杯。マヌエル・ルエラス・ファセの批判精神はどこに向かっているのでしょうか?
MR: El sentido del humor y la sátira es algo inherente en la cultura mexicana, crecemos, vivimos, y morimos con él, el humor ha servido de vehículo para atacar y sobrellevar las miserias y dolencias del país. En mi caso, este se dio de manera natural y casual, me dio la posibilidad de mantener una postura crítica y política ante los acontecimientos históricos. El contexto social, la mezcla de pobreza, violencia y corrupción se convierten en una realidad en México, una defensa constante en una ciudad que termina por volver rudos a sus ciudadanos. En México hay culto a las luchas y a la rivalidad de todo tipo, la industria del deporte, la política, la religión y la televisión. Trato de captar un fenómeno del cual somos parte; el infortunio en la sociedad, que va desde enfermarse, o volverse más pobre, violento o corrupto dentro de ella, por ende, el límite del infortunio es la muerte, por eso siempre es recurrente este concepto en mi trabajo.
マヌエル・ルエラス・ファセ (以下MR): 楽しいユーモアと風刺は先祖代々受け継がれてきたメキシコの文化です。我々メキシコ人はユーモアと風刺を見聞きしながら成長し、楽しみながら生活し、それに見送られながら死ぬのです。この国のどこにでもある生活苦や病と戦いをやり過ごすための方法、それがユーモアなのです。
私の場合、それを授かったのはたまたま運良く、だけど当然の成り行きでした。そして、私は過去の出来事を批評的に、政治的視点から見ることができるようになりました。貧困、暴力、汚職が混じり合った今のメキシコの社会状況下では、都市は防衛的になり、市民の空気もすさんでいます。メキシコでは何につけても、戦いや張り合うことが熱狂的に崇拝されます。プロスポーツでも政治でも、信仰の世界でもテレビの中でもです。
私たちが形作っている社会で起こる出来事、つまり病気や、貧困化のわな、暴力や汚職と世にはびこる不運な社会状況を写し取るように努めています。その中でも1番の不運は死ぬこと。だから作品には死が繰り返し登場するのです。
AB: 今の世の中でストリートアートの果たす役割とは何でしょうか?
MR: Democratizó los escaparates, cualquier artista o persona que quisiera decir o pintar algo puede hacerlo, llevó el mensaje a públicos que quizá nunca habían ido a un museo o galería. El gran problema para mí en la actualidad, es que ahora los grandes capitales se dieron cuenta de ello y lo ha convertido en un producto comercial y elitista, un recuso para la gentrificación, lo cual lo vuelve estéril y meramente decorativo, un fondo ideal para “selfies” y publicidad a gran escala. Aún así, hay grandes artistas de él, firmes y congruentes con su postura.
MR: 芸術家だって誰だって、絵でも言葉でも何かを表現したい人なら誰でも歓迎の晴れ舞台。ストリートアートはおしゃれな通りの高級店のショーケースと同じ、でも美術館や画廊に足を運んだ事がない人たちにも語り掛けられる、パブリックでオープンなショーケース、それがストリートアートなのです。けれども今問題だと思うのは、大都市がその有用性に気づいた結果、ストリートアートが商用化され、大衆の手から取り上げられてしまいジェントリフィケーション、すなわち町をこぎれいにして貧乏人を住めなくする小道具に成り下がってしまっていることです。このままでは何の意味もない単なる飾り、セルフィーの気の利いた背景画か巨大な宣伝広告でしかありません。自分の問題意識に忠実で、立ち位置を変えずに創作を続ける人もいるのですが。
AB: 米国に住み始めてから、在メキシコ時代と比べるとメキシコ系アメリカ人文化への見方は変わりましたか?
MR: El punto de partida y la conexión con la cultura méxico-americana para mí fue el concepto de Nepantla, una palabra indígena náhuatl muy importante para nosotros los mexicanos que significa “en el medio” “entremedio”, entonces, la experiencia de vivir en Estados Unidos, me ha llevado indagar por los caminos de la añoranza; la propia y la colectiva desde “en medio”, ese concepto está muy presente en mi trabajo. Al mismo tiempo voy recolectando historias sobre segregación, xenofobia y racismo, pero también de la superación personal, organización, colectividad y lucha.
MR: メキシコ系アメリカ人の文化と自分を結びつけるきっかけとなったのはネパントラと言う考え方です。ネパントラは「途中」とか「(何々の)間に」を意味するナワトル語で、メキシコ人にはとても重要な言葉です。米国に住むようになってから、自分自身、そして周りのみんなが心に抱いている郷愁や憧れの道について「道の途中」と言う観点から探索するようになりました。この考えはもっか私の作品の大きなテーマです。それと同時にいろいろな話を収集しています。人種隔離、外国人憎悪や人種差別、それに自己変革、組織化、共同体や闘争についての話も集めています。
AB: 作品の中には 、大衆文化や自分たちの土地についての話が度々登場します。芸術家として、この2つの話題について感ずる所があるのですね?
MR: Funcionan partiendo del mito antiguo de la migración de Aztlán de los “Mexicas” o “Aztecas” [hacia donde queda la Ciudad de México hoy], la migración y la construcción de la identidad-territorio. La gente de Aztlán, los Aztecas, tuvo que abandonar su hogar en busca de la tierra prometida por los dioses. Por órdenes del dios de la guerra y el sol, Huitzilopochtli, iniciaron una peregrinación hasta encontrar un águila devorando a una serpiente, posada sobre un nopal para fundar México-Tenochtitlán, [la actual Ciudad de México]. Esto para mí, es un valor cultural transfronterizo y de migración, con el que quise construir puentes entre lo propio y lo ajeno, la mezcla de la iconografía de los signos aztecas pero idealizados por la cultura de barrio o popular y reinterpretada a la luz de la nueva cultura de consumo de masas. Los elementos consumistas populares y los de culto en el imperio Azteca. Nombres, personajes comunes y marcas presentes en nuestra cultura colectiva. Estos ejercicios de apropiación y e hibridación me han hecho buscar nuevos significados a los iconos, reformulando sus narrativas y dándole nuevas maneras de representación.
MR: 私の絵は古い神話を元にしています。アステカ人、つまり今のメキシコ人がアストランの地を去って、現在のメキシコシティーに到達し、自分たちの国を創設した言い伝えです。アストランに住んでいたアステカ人は、彼らの神様が約束した土地を探すために、故郷を去らねばなりませんでした。軍神であり、太陽神であるウィツィロポチトリの命によりアステカ人は未知の土地への旅を続け、蛇をくわえた鷲がウチワサボテンに止まっている場所にメヒコ・テノチティトラン、つまり現在のメキシコシティーを建設したのです。
この言い伝えに文化的越境や移民といった意味を私は感じ取りました。これらを使って自己と「他者」との間をつなぐ橋が作れるのではと考えたのです。その橋はゴッチャになったアステカの絵文書ですが、その中身は地元の大衆文化で理想化されたアステカであり、大量消費社会の視点で再解釈されたものです。
大衆消費社会ではどこにでもあるもの、そしてアステカ帝国では信仰の対象であったもの。つまり誰もが知っている名前やキャラクターや商品名。それらを取り込んで、混ぜこぜにしてつなぎ合わせでできた新しいシンボルは、私を旅へと駆り立てます。それは新しいシンボルに表現の翼を与え、自分たちの言葉で神話を語り直す、つまり再創造されたシンボルが自らの意味を見つけ出す創作の旅なのです。
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