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ロシア:アンナ・ポリトコフスカヤ追悼集会

アンナ・ポリトコフスカヤの死から一周年の日、モスクワでは数百人の人びとが追悼のために集まり、そして政治について語った。

LJユーザのmr_foresterは10月7日の追悼集会の写真を掲載し、以下のように書いている[Ru]:

アンナ・ポリトコフスカヤの死の一周年を記念したこの集会は、反政府派の大規模な政治集会となった。集会で発言を行なった人びとの中で、ただ一人政治についての言及を行なわなかったのは、ノーヴァヤ・ガゼータ(ポリトコフスカヤが寄稿していた新聞)の編集長ドミトリー・ムラトフだった。元首相(ミハイル・カシヤノフ)は彼の支持者に、近く行なわれる下院選挙をボイコットするよう呼びかけた。ボリス・ネムツォフは彼の番が回ってくると集会の参加者に、「自由なロシアのために”官僚的主権民主主義”と戦う」ように呼びかけた。これはSPS(右派連合)の横断幕の下で行なわれたようだ。アレクサンドル・アヴェリンは国家ボリシェヴィキ党を代表として集会へ参加した。彼は、今は積極的に行動する時であり、反対派にはもはや悲しんでいる時間はないと述べた。Pyotr Miloserdovは参加者に、急進右派グループが計画しているロシアの行進に参加するように訴えた。[…]

mr_foresterが一年前に掲載した写真はここ

LJ ユーザafrikane3は今年の集会の写真を掲載している

LJユーザolga_beshleyも集会に参加し、以下のように書いている[Ru]:

昨日(10月6日)はインターネットが静かで、今日(10月7日)午後1時以降、ウェブ上では集会の報告で溢れ返っていたというのは、驚くことでもない。でも昨日は、予定されていたイベントについての情報がどの主要ニュース源を見ても見付けられなかった。どこで、何が、どこへ、何時に?でもだいたいどうして人びとに知らせる必要があるか?人びとがやって来たらとんでもない。まず集会が開かれて、そうしたら次はオレンジ革命になっちゃうでしょ。

[…]

Lと私はそれぞれ2本のばらを持っていった。地下道ではもうカーネーションを切らしていた。

広場へと歩いていくときには傘をささなければいけなかった。空は薄暗く時どき雨が降り、何かに反対している様だった。誰に?例えばクレムリン支持派の若者による運動ナーシ。彼らは何かを祝っていた(およそ10,000人のナーシのメンバーが、「プーチンは我々のすべてだ」といったスローガンを掲げ、ウラジーミル・プーチンの55回目の誕生日を祝った。)…

でも警察は私たちを喜ばせた。彼らはほとんどいなかったのだ。

集会はどうだったかとういと、苦い後味を残した。広場が人びとや横断幕、リーフレットやポリトコフスカヤの写真で埋められたのを見るのは素晴らしかった。

その一方で…必要以上にジャーナリストがいた様に見えた。私はテレビを持っていないが、今日テレビはナーシのメンバーと連携しているのだろうことは想像がつく。VVP(プーチン)を祝っているのだろう。正直、ポリトコフスカヤの集会でロシア国営放送のロゴを見かけなかった。そこで疑問だ:この人たちは誰なのか?こんなに外国人がたくさんいるものなのか?うーん。
[…]

私は集会で発言した人たちは誰として好きではなかった。回りの人びとは静かに仲間同士で話をしていて、カシヤノフたちの話はあまり聞いていなかった。彼らのスピーチは感激もなく、刺激に欠け、熱気もなかった。どこか宙に消えてしまいそうな感じがあった。いわゆる「選挙」が間近に迫っているが、反対派はただの壊れたモザイクでしかない。[…]

エドゥアルド・リモノフは以前、反対者(クレムリンの反対派)たちは彼らの意見を声に出す権利を取り戻すことにより小さな勝利を勝ち取ったと述べている。しかしそれは勝利なのか?500人 – または700人 – の人びとがNovopushkinskiy広場(モスクワ)に集まった – これが勝利なのか?もしかしたらその反対かもしれない – 体制は折り合いをつけていないのに、もう恐れていないのか?

外国人ジャーナリストがレスナヤ通り(ポリトコフスカヤが住み銃殺された通り)で私たちにミニインタビューをした。私たちは行進が来る前にそこに到着し、すでに花を手向けていた。

-どうして人がこんなに少ないのですか?
“みんなどうでもいいからよ”
-うーん、メディアがこのイベントについて告知しなかったし、人びとはいちいち思いい出させられられなければいけない…

[…]

LJユーザperesedov

まず、私はNovopushkinskiy広場で行われていたアンナ・ポリトコフスカヤの追悼集会に行った。この集会は反対派の行進ともなった – 今季初めてのものだ。行進には気がつかなかったが、集会はうまく計画されていて十分スムーズに進行した。OMON(機動隊)は周辺でバスに隠れ、広場はレインコートをきた兵士に囲まれていた。たくさんの人がいたが、ほとんどの人が顔見知りだった。

追悼式が政治的野心を誇示するための演台となったのは気に入らなかった。その激しさが追悼というこの集会の本質を押しのけてしまった。しかしウラジミール・コルスンスキーなどは、何も悪いことなどないと考えていた。彼は、何であろうとこの集会は悲しみの日に結びつけられた政治集会であると説明した。

両側のスクリーンには演説を行っている人物の顔や集会に来た人たちの横断幕を映し出していた。

たくさんのスピーチがあった:私はカシヤノフ、ノルドオストの被害者、そしてポリトコフスカヤの同僚であるジャーナリストの発言がよかったと思う。

[…]

10月7日を市民の威厳の日とする案に賛成だ。

原文:Veronica Khokhlova

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