2011年1月9日から15日にかけて、スーダン南部では、この地域がスーダンの一部に留まるべきか、独立すべきかを問う住民投票が行われた。この記事では住民投票に関する最新情報をまとめてお伝えしたい。
安全上の懸念と物流上の課題があったにも関わらず、住民投票の結果は成功のうちに公表されるだろうと南部スーダン住民投票委員会(SSRC)が断言したとボボヤ・ウドゥは報告している:
390万人が住民投票の投票者登録を行っており、スーダン南部では、登録者370万人のうち310万人が投票した。スーダン北部では11万6千人が登録し、うち6万2千人が(53%)、ディアスポラでは登録者6万人のうち5万5千人(91%)が票を投じている。
人道的には衝撃を受けるような状況の中での独立に向けられた大いなる熱意について、ゼイナブ・サレーが次のように伝えている:
バイボクキャンプの小さなオフィスの中、数十人の住民が食糧配給をもらうために名前を登録しようとキャンプの役人であるラマダン・ミシェルの周りに集まっていた。ラマデンは、住民の数を数えそれぞれの家族の人数を推測した後で、食料を配っていると教えてくれた。また、キャンプにはトイレがなく、住民は野外で排尿・排便を行なっている。しかし、レンク知事ディナク・アクワイは、人道団体の助けを借りて喫緊に野外トイレを設置することを約束している。
こういった問題があるにも関わらず、人々は住民投票とその結果に対して熱意を抱いている。SUDANVOTEが話したキャンプの住人全てが、北部から独立し自分たち固有の国を打ち立てるために、分割に賛成すると語った。
レニー・ランバートは、集票作業を目撃している:
小さな二部屋の学校の中には若いスーダン人選挙管理人が座っており、国内外の立会人が見つめる中、沈黙のうちに投票用紙を広げていた。まだ7時過ぎで、投票は2時間前に締め切られたところだ。学校の外では日が沈んでいき、選挙管理人は小さなランタンの灯りの下、票を数えている。小さな部屋の壁に投票用紙を広げる若い管理人の影が踊り、私は自分が目撃しているものの重要性に気づくと同時に鳥肌が立った。先週来、私の目からはすでに両手で数えられる以上の回数の涙が溢れているのだが、私はここでも涙を止められなかった。しかし、私の感傷は、スーダン人の選挙管理人や立会人が感じているであろう思いには欠片も匹敵しないことだろう。
投票所の安全確保の責任を負う警察官が小さなベンチを持ってきてくれたので、我々は座って開票作業を見ることができた。警察官はさらに開票作業のプロセスの一挙動一挙動を、見ている我々に説明してくれた。最初の箱の中の投票用紙は机の真ん中に広げられていた。8人の選挙管理人が、慎重に一枚一枚の用紙を広げ、精緻な束に纏めていく。全ての投票用紙が広げられ整理されると、集計が始まるのだ。
木に暫定の結果を貼った投票所もある:
ある投票所では、既にそこでの暫定の投票結果を近くの木に貼っていた。最終の集計と確認を目的に本部に送るために大型トラックに投票箱が詰まれるのを警察官が警備する間にも、スーダン人住民とジャーナリストが木の周りに集まり、熱心にメモを取っている。同じような風景がスーダン南部の全ての投票所で繰り広げられているだろうことを想像し、ここで成し遂げられたことに対してとてつもない誇りと驚嘆とを私は覚えたのだった。
ジェームス・オクック博士は、南部スーダン人に対する「沢山のお祝いの言葉」を今から贈っている:
この喜びに満ちた機会に、沢山のお祝いの言葉を前もってスーダン南部とディアスポラの双方にいる南部スーダンの人々に贈りたい。ハルツームやそこら中にはびこるスーダン北部のエリートの正義から遠く離れ、我々自身の尊厳と共にことを成就した今、私の心はようやく安堵し落ち着こうとしている。2011年1月末に公式に選挙結果が公表される時、投票の80%以上が分離に賛成であろうことは疑う余地もない。
今後スーダン南部の人々は国内の課題に向き合わなければならない:
この最善の報せを受けて、我々はスーダン南部国内の課題と既存または今後の新しい政府の指導力とに目を向けるべきである。前向きな雰囲気の中で建設的に前に進み、他の発展途上国に追いつくために、宣言された独立を正しい道筋を辿った上で2011年7月に有効化できることを祈っている。たとえゆっくりとでも、確実な前進を。
カナダ在住のスーダン人レオン・ナイレレは、スーダン南部の分離に賛成する合理的な理由はないと強く述べている:
スーダン南部の分離に賛成する合理的な理由などない。スーダン南部の住民の圧倒的多数が分離に賛成の票を投じるであろうことは広く予期されている。それはさておき、私が古くから持つ考えから言えば、スーダン南部の人々が分離に賛成する理由は多岐に渡っている。
しかしながら、スーダン全土における政治的および社会的な変化を考えれば特に、それらの理由は南部の北部からの分離を正当化するには足らないのである。
政府が非合理的な判断を下しているから、アフリカの多くの国が経済的に停滞したままであるという理論をまずご理解頂きたい。スーダンにおける内戦は中央にいる少数派のアラブ系スーダン人エリートが下した非合理的な社会・経済政策の結果であり、残念ながらそれが今日のスーダンの状況を作り出してしまっている。同様に、南部スーダン人によって下されようとしている、アフリカに新たな国を生み出すだろう決断は、似たような非合理的な理由付けに基づいている。
分離への希求は、合理的思考というよりは感情に基づいているとレオンは論じている:
分離の選択という南部スーダン人の決断は、合理的思考というよりは感情に影響されていたものである。この感情はスーダンの黒人が長年受けている抑圧に基づいている。半世紀以上の間、アラブ起源を主張するスーダン人がスーダン南部の人々を含むアフリカ系スーダン人を支配してきた。アラブを起源としないスーダン人は二流市民として扱われているのである。非アラブ系、特に南部人は、今でも奴隷と呼ばれている。とはいえ、アラブ系と言われているスーダン人も中東を旅すれば奴隷と呼ばれるのだが。
第二に、南部スーダン人は国家資産の利用を禁じられている。今日のスーダン南部は、この不平等のために世界で最も「未発展」な地域という称号を手にしているのだ。
第三に、南部スーダン人は、偏見のない自由な環境下での信教の選択の自由を許されていないのである。
第四に、内戦の間に南部人が虐殺されているのだが今日に至るまで正当な断罪は下されていない。これは明らかに南部スーダン人に対する気分の悪くなるような不当行為であり、怒りを覚えて当然であろう。しかし、南部の北部からの分離が、過去の不当行為に対する最良の選択だろうか。分離は、長きに渡る平和をもたらすだろうか。私にはそうは思えない。
南部スーダン人になぜもう一つ国を造りたいか尋ねると、事前に練習された回答を聞かされる。これは議論の背景にある複雑性を必ずしも理解しているわけではなく、リーダーから聞いただけのものだ。周縁化を筆頭に、イスラム化やアラブ化が回答としてはあがるだろう。
最後に、SouthSudanInfo.netのブロガー、デビッド・ウィジントンがモントリオールのニュースキャスターと南北スーダン間の未解決の問題について話しているポッドキャストを聞いて頂きたい:1)アビイエを含む、南北間の国境策定、2)石油からの収入とインフラの共有、3)ナイル川の洪水の管理、4)国籍、帰国権、安全保障、5)スーダン国債の返還