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ケニア:ガリッサ大学襲撃の犠牲者を悼む--147は単なる数字ではない

独立系新聞社デイリー・ネーション(@DailyNation)によるガリッサ襲撃犠牲者の写真特集の一面。ツイッター上で公開されたもの。

独立系新聞社デイリー・ネーション(@DailyNation)によるガリッサ襲撃犠牲者の写真特集の一面。ツイッター上で公開されたもの。

少なくとも147人が武装組織アルシャバーブに殺害されたという、ガリッサ大学襲撃事件に関し、国内外のメディアの報道に厳しい批判が浴びせられている。襲撃者の氏名は幅広く公開されているのに対し、犠牲者はたいてい、147名という、単なる数字に矮小化されているからだ。

これに対しケニアのネット民は、この野蛮な襲撃事件の犠牲者たちに名前と顔を与えようと努力してきた。

アフリカ・イズ・ア・カントリーというブログへの投稿で、ケニアの作家ビニャバンガ・ワイナイナは「失った国民ひとりひとりをきちんと弔うことができない国なら、ケニアは国とは呼べない」と言っている。

I want to see the names ages and photographs of those who died in Mpeketoni. Those killed during PEV. Stories. Forgetting is not good. It is in these acts, our public commons reawaken. The politics of saying we are not ready to face ourselves, the fullness of our pain, is the same politics that allows us to ignore it when a Kenyan strips the institution they are given to run, strips it dry, dry, and returns like a zombie, a plastic rubber-band zombie in some new form, to govern somewhere else again.

私はムペケトニで亡くなった人たちの氏名や年齢が知りたい、写真が見たい。選挙後暴動(訳注:2007年大統領選挙投票結果を巡る部族対立)の流れで殺された人たち。忘れるのはよくない。私たち民衆の意識が呼び覚まされるのは、こうした行為を通じてだ。私たちは自分自身に向き合う覚悟ができていない、膨れ上がる痛みに耐えられないのだ、という論法がある。その論法は痛みをないがしろにさせるも同然ではないか。ひとりのケニア人が、運営を任されていた教育機関を奪い取り、不毛の干からびた場所にしているというのに。そのあげく、ゾンビのように舞い戻り、輪ゴムでゾンビを撃つおもちゃのように新たな姿で、再びどこかを支配しているというのに。(訳注:主犯格として指名手配されている男はイスラム学校の元校長)

彼はこう続ける。

I want to see three million Nairobians flood the streets to cry, and sing, and hug because our children have been killed. I want to stop feeling that we live inside mostly the private. I want never to hear the word self-empowerment again.

私は、3百万のナイロビ市民が街にあふれ出て、殺された私たちの子どものために泣き、歌い、抱き合う姿が見たい。
ほとんど自分の世界にこもって暮らす人ばかりだと思うのは、もうやめたい。自分を励ます言葉など、もう2度と聞きたくない。

オリー・オコロー・ムワンギは、アフリカの文化で犠牲者の名前が重要とされる理由を、ツイッター上で解説している。

名付けと命名儀式はアフリカ文化では一大事。それは過去世、現世、来世を表す。だから我々は一人ひとりを名前で呼ぶ。

犠牲者に人間味を与えようと、#147notjustanumber (単なる数字じゃない147名)のハッシュタグをつけて、彼らの名前と写真を投稿しているツイッターユーザーもいる。

追悼、エリザベス・ニャンガローラ。2012年セント・アンドリュース・カンガ女子高卒。

この子はトビアス、ガリッサ襲撃で死んだ。私たちにとって彼は数字ではなく、息子であり、兄弟であり、友であった。

追悼、アイビー・ベティー・ワンジク(シコ)1年生。

アンジェラ・『カ/ジョジョ』・キマタ・ギタクワ、カリマ女子高校の2011年卒業アルバムより。

思い出は永遠に心の中に。どうか彼らの略歴と写真を送り続けてください。

襲撃者はニュースの見出しを飾りその名を永遠に残すのに、犠牲者は単なる統計として忘れ去られる。

それは人の命であり、統計的数値ではない、と@Reclvseは書いた。

ケニアの人たちがガリッサ襲撃犠牲者の名前を出して話をし、#147notjustanumber(単なる数字じゃない147名)を確かめ合ってる。良いやり方だと思う。人の命、それは統計的数値じゃない。

@lunarnomadは、このハッシュタグの隠れた狙いについてこう話した。

メディアが流すガリッサ関連の血まみれたイメージにうんざりしたから、#147notjustanumberをチェックして銃弾の背後の人間を見てるの。

Mary Njeri Mburuはツイートする。

ウェストゲート(ショッピングモール)襲撃事件のときみたいに、ガリッサ襲撃犠牲者の死亡記事も新聞社が無料で配ってくれればいいのに。

ユーニスはケニアのことわざを、別の#KenyanLivesMatterというハッシュタグをつけて投稿した。米国の#BlackLivesMatter運動(訳注:「黒人の命が重要だ」の意、2014年黒人差別への抗議メッセージに使われた)のもじりである。

暴力に頼るものは理性を恐れる--ケニアのことわざから。私の想いはあなたと共に。

校正:Yoko Kawakami