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米国:ベトナム難民のきょうだいが経験したアイデンティティ・クライシス

1975年に南ベトナムの首都サイゴンが北ベトナム軍によって陥落してまもなく、ベトナムから難を逃れてアメリカにたどり着いたチュオン一家。トゥー・トゥイー・チュオンさんは、写真右端の女性で、弟(シさん)の頭上に指でウサギの耳を作っている。写真クレジット:トゥー・トゥイー・チュオン PRIの許可の下掲載

1975年に南ベトナムの首都サイゴンが北ベトナム軍によって陥落してまもなく、ベトナムから難を逃れてアメリカにたどり着いたチュオン一家。トゥー・トゥイー・チュオンさんは、写真右端の女性で、弟(シさん)の頭上に指でウサギの耳を作っている。写真クレジット:トゥー・トゥイー・チュオン PRIの許可の下掲載

当記事およびラジオ・レポートは、 モニカ・キャンベル が The World のために執筆・制作したもので、2015年4月28日PRI.org に初掲出。これをコンテンツ共有の合意のもとグローバル・ボイスに転載

冷えた水が詰まった樽の中を真っ赤なリンゴが漂っている。この情景は、トゥー・トゥイー・チュオンさんがアーカンソー州フォートチャフィーの難民キャンプに到着した後の記憶だ。彼女は、1975年の4月に家族と共にベトナムを脱出してまもなくその難民キャンプに移送されてきた。

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当時トゥー・トゥイーさんは13歳だったが、このリンゴ樽の情景とともに思い出すのは、アメリカで最初に住んだ家のことだ。その家は、カリフォルニア州バークレーにある小さなアパートメントだった。「豊かな生活ではありませんでしたが、そこは私たちの思い出の詰まった小さな家でした」と彼女は語っている。

北ベトナム軍が迫って来たため、チュオン一家はその他数千の家族と共に南ベトナムの首都サイゴンから避難してきた。その後、ベトナム難民の多くは、アメリカで新たな生活を築いた。そして、その40年後、トゥー・トゥイーさんと弟シさんは、StoryCorpsと協力してアメリカ定住に至るまでの思い出を収録した。(訳注:StoryCorpsとは、様々なアメリカ人の人生経験をインタビュー形式で録音し、全米で共有するプロジェクト。2015年5月末時点、録音したインタビュー数は累計57,000回を超える)

1975年にアメリカに到着してまもなく、ベトナムからチュオン一家はアーカンソー州フォートチャフィーにある難民キャンプに向かった。写真クレジット:ギエム・トゥアン PRIの許可の下掲載

1975年にアメリカに到着してまもなく、ベトナムからチュオン一家はアーカンソー州フォートチャフィーにある難民キャンプに向かった。写真クレジット:ギエム・トゥアン PRIの許可の下掲載

その頃は、やることなすこと、初めてのことばかりだった。当時8歳だったシ・チュオンさんは、サンフランシスコとオークランド・バークリーを結ぶ湾岸高速鉄道に初めて乗ったときのことを覚えている。最初は、海面下を走るのだから鉄道の窓から海水や魚が見えるはずだ、と期待していたのだ。

結局のところ暗いトンネルを見ただけだったのだが、「どんな些細な経験であっても、生まれ育ったベトナムで見てきたものとはまったく異なる経験でした」とシさんは語っている。

シさんたちきょうだいは、新しい文化を前に葛藤も抱えていた。ベトナム人としてのルーツをどんな形で残すのか、あるいは、捨て去るべきか、と。「あの頃は幼かったので、もう過去のものだと思った自分の文化を残していくことの大切さがわからなかったんです。この新しい世界で前に進み、成長するための唯一の方法は、周りに完全に溶け込み、アメリカ人になりきることだったんです。どういうわけか、私は私自身のルーツを消し去りたいとまで思い詰めていたんです」とシさんは語る。

しかし、トゥー・トゥイーさんにとって故郷から流れてくる音楽は、なくてはならないものだった。彼らの母親はベトナムのバラード曲を聴くのが大好きだったが、「ベトナムのバラード曲を聴くと、なんだかベトナムの良かった時代を思い出すの」とトゥー・トゥイーさんは言う。「フォートチャフィーにいた頃はあまりお金がなかったのですが、ベトナムの有名歌謡曲をカセットテープに繰り返し録音してくれる人たちがいたので、その人たちからカセットテープを買うためにはお金を使ったものでした。自分たちがベトナム人だということを除くと、それが唯一、母国とのつながりを感じさせれくれるものだったからです」

シ・チュオンさん(写真左)とシさんの姉トゥー・トゥイー・チュオンさん。1975年サイゴンが陥落してまもなく、アーカンソー州フォートチャフィーの難民キャンプに辿り着いた頃は、まだほんの子供だった。チュオンさん一家は、最終的にはサンフランシスコのベイエリアに定住することになった。シさんは、初めて海面下を走る湾岸高速鉄道に乗った時のことを覚えている。「車窓を通して、海を泳いでいる魚を見れるんだ」と想像していたが、実際には窓ひとつないトンネルでしかなかった。写真クレジット:StoryCorps PRIの許可の下掲載

シ・チュオンさん(写真左)とシさんの姉トゥー・トゥイー・チュオンさん。1975年サイゴンが陥落してまもなく、アーカンソー州フォートチャフィーの難民キャンプに辿り着いた頃は、まだほんの子供だった。チュオンさん一家は、最終的にはサンフランシスコのベイエリアに定住することになった。シさんは、初めて海面下を走る湾岸高速鉄道に乗った時のことを覚えている。「車窓を通して、海を泳いでいる魚を見れるんだ」と想像していたが、実際には窓ひとつないトンネルでしかなかった。写真クレジット:StoryCorps PRIの許可の下掲載

学校でもまた、さっそくアメリカ的生活の中に放り込まれた。「大きく違うなあと感じたことの1つは、あらゆる肌の色を持ったした人たちが学校にいたことでした。そこには、白人やアジア人、黒人の子供たちがいて、『わあ、ベトナム時代とはまったく違う世界じゃない!』と感じたものでした」とトゥー・トゥイーさんは語る。

弟のシさんは、小学校前に降ろされたときの様子を語った。「私は、他の生徒たちを見て、自分とはまったく違う人間なんだと感じました。体の大きさ、着ている服、何から何まで。そして、私はここで馴染んでいけるのだろうか、と不安にも感じました。しかし、実際には、多くの友達を得ることができたのです。そして、他人と違っているということは、実際、かっこいいことなんだってわかったんです」

ベトナム系アメリカ人たちの声にもっと耳を傾けてください。: StoryCorpsはAmerican Experienceと協力して、難民や退役軍人から1975年ベトナム戦争終結時のストーリーを募っています。詳しくは、 First Days Story Projectにて。

校正:Takako Nose