(訳注:原文の公開は2022年11月18日です)
1989年11月17日、平和的な抗議デモが旧チェコスロバキアのストリートで始まった。この抗議行動を経て、やがて中央ヨーロッパと東ヨーロッパでは共産主義が終焉(しゅうえん)を迎えることになる。あれから33年が経ち、歴史家はこの出来事をビロード革命と名付け、すべてが始まった当時と全く同じプラハの通りで記念行事が行われている。
この11月17日は、1941年以来今日まで、1939年11月を忘れないために国際学生の日として世界中で祝日となっている。当時 1938年からチェコを占領していたナチス・ドイツは、抗議する学生を一斉検挙し、指導者の何人かを殺害し、その他大勢を強制収容所に送り、11月17日に、すべての大学を閉鎖したのだ。共産党政権下のチェコスロバキア (1948–1989) での記念行事は、政府に対するいかなる批判も許さないように、当局によって綿密に監視されていた。
しかし、それでは終わらなかった。まさに1989年にそれは起こった。11月16日と17日に、ブラチスラバとプラハで、スロバキアとチェコの学生が抑圧に逆らい、路上で抗議デモを始めたのだ。 プラハでは、学生は最終的にナロードニ・トジータと呼ばれる中央の大通りに集まった。ナロードニ・トジータ(Národnítřída třída ) は文字通り「国の大通り」という意味で、この大通りはずっとチェコ人の心のよりどころであった。チェコの領土がハプスブルク帝国の一部だった1526年から1918年の間のドイツへの帰属意識とは対極にある。次のビデオで当時の抗議デモの様子がよくわかる。
警察の殴打、逮捕といった暴力にもかかわらず、
11月17日は2018年以降も変わらず国民の祝日であり、正式には「Den boje za svobodu a demokracii a Mezinárodní den studentstva」(自由と民主主義のための闘争の日、および国際学生の日)と呼ばれている。プラハでは中心地のヴァーツラフ広場やナロードニ通りでコンサートや演説を行いこの日を祝う。また政治家たちも姿を見せ、キャンドルを灯し、映像や音声の記録を流し、まさに歴史の再現を見ることができる。
今年のプラハでの記念日の様子を写真ギャラリーでお見せする。
ナロードニ通りの中央に集まった人々は、キャンドルを灯し1989年11月17日の出来事をしのぶ。この一角には、あの日を記録した常設写真展があり、旧チェコスロバキアの共産主義の終焉を記憶するモニュメントとしての役目を果たしている。
トムキ・ニェメツが1989年11月に撮影した記録写真を見てみよう。国際学生の日を記念して同じようにキャンドルを灯す儀式が、当時すでに伝統となっていたことがわかる。
多くの親たちが国民の祝日に子どもたちを連れてきて、民主主義と過去の記憶を伝えている。
母親が子どもたちにトムキ・ニェメツの常設展示の写真を見せて、1989年11月17日の出来事を説明している。
ビロード革命が起こった主な要因のひとつは警察の暴力だったが、それとは対照的にデモ隊は平和的だった。ニェメツの写真の一枚に「自由」と書かれた旗が掲げられていることからも分かる。
今年は悪名高いチェコスロバキアの国民保安隊公安部(Veřejná Bezpečnost:VB)のトラックのレプリカも展示された。VBは、特に共産党政府とそのイデオロギーに批判的な人物を拘束、監視、袋叩きにするなどの任務にこのトラックを用いた。
2022年の11月17日のナロードニ通りは、1989年の11月17日とそっくり同じように見える。
ナロードニ通りの展示の中には、写真と共に、デモや反体制運動に積極的に関わった人々の言葉が引用されている。その一人ヴァーツラフ・ハヴェルは、刑務所から解放され、やがてチェコスロバキア大統領、そして後のチェコ共和国の大統領に就任した。ハヴェルはこんな言葉を残している。「革命は私に自由をもたらした。自由こそ私の人生で最もかけがえのないものなのだ」。