国中の最高栄誉と夢として飾りたてられた、2008年夏季オリンピック開催都市の北京は、安定と調和のあらゆる明るい側面を世界中に示そうとしている。紫禁城付近の賑やかな夜景を見ると、伝統的な中国風の壁の裏にはまったく別の世界があるなどとは考えないだろう。
市民ジャーナリストで彼の個人ブログ-24hours-で有名なブロガー老虎庙(Lao Humiao)は、北京で想像を絶するほどの貧困生活を送っているホームレスについての報告シリーズを掲載している。
正阳门东侧有一座老火车站,知道的人大概不会少,它为当年京奉铁路所用。火车站面西前门,脚下向南新修了一条宽路,路名不详,但宽是够宽。最近为了拆建前门外地区,彻底封死了前门正街,因而这里就成了内城通向外城的重要通道。这条街穿行而过的正是原先的前门外鲜鱼口一带。地产商为遮人耳目。在路旁修建起了花墙,用以遮挡工地,花墙上又假模假样地“镶嵌”了宝瓶、玉扇、八宝格子窗,窗里描绘着写意国画小品………
看起来很美的东西,却于花墙后暗藏着一个潜流社会,一个无人过问,也无人愿意过问的群体。这里就是我所说的京城头号盲流聚集地。
从花墙入口处走进,我来到了这个流浪者的天堂……
这样四不像的假造型实在令人作呕
流浪着居住的地方,是一些很奇怪的像似圈类的建筑,一格一格,正好一人一间。我数了数,三十只,好象是有人刻意搭建而成。
尹氏,山东潍坊人,我说那是风筝之乡吧,他说做过,不多。老尹三十多岁,思维看起来很正常,甚至言语措辞有几分幽雅。我问他为什么不在家待着。他回答说:村里不给他地,没有地可种,又没有其它收入,不如出来谋生。我说是乞讨吗?他马上否定,不屑地说:我不乞讨,靠劳动生活。后来从谈话中我知道他是认为乞讨很难堪的,他的主要生活来源就是拣拾饮料瓶子。通常卖给回收站一只可得一角或者八分,视瓶子品牌的不同价钱不等。这样一天下来,最多卖到过十元钱,多的只卖四元,最少一次才卖了两元。我问他是不是可以攒点钱呢?尹说:那边卖了,这边就进了肚子,饿得跟不上趟,哪还能攒钱!
这是尹的家,是圈子里搭建的最漂亮,最讲究的房子
これが、箱の家の中で一番きれいで凝った尹の家。
尹和新疆来的哈萨克族青年艾丁坐在一起,叫我拍照,说是希望把他们的事情报道出去……他也许把我当了记者。
艾丁是被人骗来北京的,那人对他说,北京有一份烤羊肉的工作需要人做,而且专门要新疆来的。他就给那人缴了二千元押金,跟随来了北京,后来走散了,他才觉察是被那人骗来的,那人也并非走散,而是躲了他。艾丁立刻变成了穷光蛋。他开始在北京四处流浪混日子。去几家餐馆都说是包吃不包住。艾丁说他会拉面,会烤羊肉,还会炒菜……
艾丁在寒风里打着颤应我要求拍了照。
冷たい風の中で震える艾丁は、写真を撮らせてくれた。
我憋不住还是问了艾丁为什么不去寻找有关单位?请求协助。你又不是前面那几位专门以乞讨为生的。艾丁告诉我说,他也找了新疆办事处,还找了公安局。新疆办事处说工作人员是维族人的天下,哈萨克族的人他们管不了,这样的事情太多!我听了十分震惊!我又问公安局怎么说?艾丁告诉我“公安局的更不理我,他们只说叫我到西客站去睡觉,一旦被人收容了就有可能送回新疆去。”
艾丁这回又要我给他拍照,并且随手从地窝子里拿出一面纸旗儿来,是国旗。艾丁把那面在北京的凛冽寒风里尤显鲜红的国旗郑重其事地举在胸前,我就拍下了这么一张2007年岁末最后的一帧照片。
艾丁は私にまた写真を撮るよう頼み、地面から紙の旗を拾いあげた。国旗だ。艾丁は北京の突き刺すように寒い風の中でさらに赤く見えるその旗を真剣に上げた。この写真は2007年の終わりに撮影した。
老虎庙によると、前門の野宿生活者は皆、冬をを乗り切るのための基本的な生活必需品を欠いており、中には高齢者や病人、または障害を持っている人もいるという。幸いにも、老虎庙のブログを通して話を知った多くのブロガーやネット市民が、野宿生活者コミュニティーに多少の衣類や基金を自発的に送り、中には自らホームレスを訪ねた人もいた:
在高大辉煌的前门楼子下,一场爱心营救行动正在积极和富有成效地进行着。
我先后接到约三十宗五十余次电话或者短信,其次还有无数个网上留言,一律没有透露身份姓名。
…
しかし、前門の路上生活者への世間の注目が増し、老虎庙が報道を続ける中、北京の当局者は、天安門広場からそう遠くない場所にあるこの醜い汚点についてとうとう黙ってはいられなくなった。1月9日、援助機関の役人の一団と警察官が前門の野宿生活者コミュニティーへと出向いた。老虎庙は、その状況をブログで説明してる:
……
9日中午前后,当最后几位前来看望部落的网友走后不久,崇文区救助站以及公安人员出现在了部落现场。他们对部落现场的流浪人员先是做了劝说:可以去救助站,在那里可以获得十日的居住条件,提供饮食,提供返乡车票。据我后来了解到,这样的条件提供政府约为每人支出二至三千元。不过现场的劝说以及看起来蛮是诱惑的条件诉求似乎只是一个过门儿,他们表现更多的则是很不耐烦。在一番程式化地向流浪人宣读处理办法后,行动就开始了。他们不由分说地拆毁了山东高密老尹的窝棚,留下了遍地狼籍。接续又拆毁了距离老尹西边百米之外的另外一个窝棚……
然而今天中午发生的事情叫我们非常困惑!既然是那样好的救助条件,为什么部落里的流浪人不愿意去呢?当老尹问到公安人员“带我去哪里”时,公安回答“给你找个吃饭的地儿!”本来还在犹豫的老尹一听那说话的强硬语气,立刻退却。当晚我去部落时老尹对我不无忧愁地说“去了还不找死?”显然老尹的顾虑是显多余了些,但又是谁给老尹以及更多个人民造成如此公安印象呢?
1月9日正午ごろ、数人のネット市民が野宿生活者コミュニティーを去ったすぐ後に、崇文地区の援助機関の関係者と数人の警察官がやって来た。彼らははじめに、10日間食事付き下宿が与えられ、最終的には故郷への切符がもらえるから、援助機関に行くと良いと言って、その場にいた野宿生活者を説き伏せようとした。後で、政府が自主的に援助機関に行く人それぞれに2000元から3000元を支払うということを知った。しかしその日、役人の説得や相当魅力的な条件は何かの前兆のように聞こえ、むしろ彼らの行動がさらしたのは焦燥だった。野宿生活者へ一連の公式告示をした後、彼らは行動を開始した。口論を受け付けずに、関係者と警察官は尹の箱の家を取り壊してし、めちゃくちゃにしてしまった。そして、彼らは尹の家から100メートル離れたところにあった他の家を取り壊し続けた…
正午に起きた出来事で、私たちは全く混乱した!あんなに援助条件がよかったのに、野宿生活者たちはなぜ喜んで行かなかったのだろうか?「私をどこにつれていくんか」と、尹が警察官に訊くと、彼らのひとりが、「食事ができる良い所だ!」と言った。はじめから役人の思いやりを疑わしく思っていた尹は、そのような厳しい口調にすぐに後ずさりした。その晩、尹は憂うつに「あそこに死にに行くようなことはしない!」と、私に話した。もちろん、彼の疑念は少々不要なものだったが、誰が尹や他の人びとの心の中にそれほどひどい警察のイメージを植え付けたのか?…
意外にも、しかし幸いでもあるが、1月17日の前門にいる野宿生活者についての老虎庙の最新報告により、警察や関係者たちは再び戻ってこなかった。全てが元通りに戻ったように見える。しかし、前門の野宿生活者の生活が改善することはない。あのカザフ人青年の艾丁は、数日間行方がわからず、この骨まで凍り付くような冬に、新しいメンバーが壁で中国の首都から隔てられた前門の野宿生活者コミュニティーに加わっている。
说明:以下照片因相机日期设置有误,“07-01-17”应为“08-01-17”)