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アメリカのブルーグラスバンドがナイジェリアの人気バンド、P-スクエアの曲をカバーして大盛況

liveinlagos

(原文掲載日:2014年8月15日)

一週間前、友人から送られてきたYouTubeの動画を見て、私は会う人すべてにそれを見せたい衝動にかられた。誰かの家の居間の片隅で黒スーツを着た4人のアメリカ人ブルーグラスバンド(バンジョ、フィドル、ギター、ウッドベース)が、ナイジェリアのR&Bデュオ、P-スクエアの大ヒット曲「チョップ・マイ・マネー」のカバーバージョンを大音響で演奏していた。

このバンド、ヘンハウス・プロウラーズがナイジェリアのピジン語(現地語訛りの英語)やヨルバ語で歌い出すと、ソファーに座っていたナイジェリア人の観客は、この自宅演奏会の様子を撮影するためにスマホを取り出した。

「♪ドルの札束オレのもの、ナイラの札束オレのもの」と繰り返し、演奏が終わると観客の一人が、500ナイラ札をバンジョー弾きの胸に突っ込み、西アフリカ独自のジェスチャーで素晴らしい演奏をたたえた。

観客のこの反応を理解するには、もう少しP-スクエアについての知識が必要だろう。双子の兄弟ポール・オコエとピーター・オコエは、2000年にデュオを結成し、それ以降西アフリカの音楽チャートで圧倒的な人気を維持している。ふんだんな予算をかけて作られた彼らのミュージック・ビデオは、YouTubeで数百万の再生回数を誇り、アフリカ全体でいつも一位、イギリスやアメリカでも頻繁に一位になっている。中でもセネガル出身のアメリカ人スターラッパー、エイコンと共演した「チョップ・マイ・マネー」は、彼らのヒット曲の中で最も覚えやすい曲かもしれない。P-スクエアの楽曲は、現在エイコンが立ち上げたコンビクトというレーベルから発売されている。ナイジェリア人を喜ばせたかったら「チョップ・マイ・マネー」以上の選曲はないだろう。

普段年間220日間もアメリカのライブハウスやフェスに出演しているシカゴのブルーグラスバンドが、いったいなぜナイジェリアの首都アブジャの米国副領事の家で演奏することになったのか。その経緯を知りたくて私は、ヘンハウス・プロウラーズの立上げメンバーの1人でバンジョー弾きであるベン・ライト氏に電話した。その答えは、米国国務省のプログラム、アメリカン・ミュージック・アブロード(AMA)というシンプルかつ驚くべきものだった。

話は60年前に遡る。冷戦時、アダム・クレイトン・パウェル・ジュニアは、ボリショイ・バレエとアメリカ発の最も強力な文化であるジャズを争わせたら、文化の競争でアメリカはソ連より一歩リードできるのではないかと提案した。国務省は「ジャズ大使プログラム」を立上げ、ディジー・ガレスピーをイランに、そしてルイ・アームストロングをコンゴに送った。その目的は、ソ連のシンフォニーオーケストラより陽気な音楽を世界に伝え、複雑な政治的メッセージを送ることだった。たとえば当時、国際的なニュースになっていたアメリカ南部の人種差別のイメージを払拭するために、ツアーの参加バンドは様々な人種から平等に選ばれた。また、コード進行以外はソリストが自由に演奏できるジャズは、ソ連が海外に紹介した堅苦しいクラシック音楽とはまったく対照的だった。

国務省はもはや、アームストロングやガレスピー級の有名人を海外に送ることはしていないが、アメリカのルーツ音楽を演奏する10組のバンドを複数国に送り、現地のミュージシャンとの共演やワークショップなどを実施している。「ルーツ音楽」の定義は広い。
「募集するアメリカ伝統音楽には、コンテンポラリーアーバン、ヒップホップ、ロックンロール、パンク、ヘビーメタル、インディーロック、R&B、ジャズ、ブルース、カントリー、ブロードウェイ・ミュージカルシアターなどが含まれる。またアメリカのルーツ音楽には、カントリー、ゴスペル、ソウル、ブルーグラス、ザディゴ、ケイジャン、アフロカリビアン、テハノ、南西アメリカ・コンフント、ネイティブ・アメリカン、フォークなどを含む」(個人的には、先のインドネシアの大統領選でヘビメタ好きなジョコ・ウィドド氏が当選したので、このツアーにメガデスが参加することを期待している。)

ベンは「プロウラーズは、長年アメリカの学校で、演奏や授業などの教育支援活動をしてきたので、それが強みになったのだと思うよ」と説明してくれた。まず、40組のバンドがオーディションの参加資格を得て、さらにオーディションで10組が選ばれた。彼らはそのうちの1バンドとして2013年にコンゴの首都ブラザビル、リベリア、モーリタニア、ニジェールのツアーに参加した。行先の決定は、国務省がおこない、バンドは一切関与できなかったが、西アフリカほどスリルに満ちた旅行はなかったと言う。彼の父親であるドナルド・ライト氏は、アフリカ歴史学者でガンビアを専門にしており、彼も約20年前に父親と旅行した経験があった。「旅行が決まった時、父に電話したら大喜びしてくれたよ。父が夢見た場所に行けることになったんだからね。特に父はモーリタニアとニジェールに行きたがっていたんだ」

ベンたちバンドメンバーは、西アフリカのツアーで想定外の楽しさや問題をたくさん経験した。「リベリアのジャングルの中、窮屈な車に乗って、ひどい道を6時間もかけてたどり着いた先で、地元のミュージシャンと一緒にライブをするんだ。でもそのたびに苦労して来た甲斐があったと思うよ」彼の楽器も彼らと仲良くなるきっかけになった。ニジェールの首都ニアメーで一緒に演奏した現地バンドのリーダーは、バンジョーの祖先と言われている楽器エコンティンの奏者だった。ツアーではわずか2時間の間に、顔合わせ、設定、音チェックなどをしなければならず、地元のプレーヤーと仲良くなる時間が十分とれなかったが、彼らはすぐに意気投合した。「バンジョーのチューニングを2音下げたらすぐにキーが合って、フレーズを交換しあったんだ。言葉や文化が違うので互いにどのぐらい理解できているのか判らなかったけど、ふたりとも笑顔だったよ」

最初のアフリカツアーで得た一番の教訓は、誰もが知っている有名な曲を演奏するということだった。だから彼は、アブジャの米国大使館から独立記念日のコンサートで演奏してほしいと依頼されたとき、ナイジェリアで人気の曲が何かを質問した。そして大使館の担当者が送ってきたYouTubeのリンクの中にP-スクエアの曲が入っていたというわけである。

「『チョップ・マイ・マネー』を選んだ理由は特になくて、それがどのぐらい人気の曲なのかも知らなかったんだ。でも、準備は大変だったよ」と言う。この曲には4番まで歌詞があり、各メンバーで1コーラスずつ覚えたが、大変だったのはピジン語とヨルバ語の部分だった。彼らはツアーで忙しく、準備に十分な時間がとれなかったので、アメリカでのステージで演奏して徐々に完成度を高めていった。その時の反応は微妙なものだったようだ。

ナイジェリアでの反応はものすごく良かった。「ジョンがヨルバ語で歌いだすと皆興奮したよ」副領事宅での演奏会に来ていたナイジェリアの国会議員が、P-スクエアのピーター・オコエに電話して、ブルーグラスバンドが彼の曲をカバーしていることを伝えた。数日後、アブジャで開かれた独立記念日コンサートの公演前にオコエはプロウラーズの楽屋に来てこう言った。「俺がここに来た理由わかるよね?」バンドのメンバーは、それがステージに飛び入り参加するためだとはその時は理解できなかった。以下の動画では、オコエがステージに忍び寄り、フィドル弾きのダン・アンドレからマイクを奪いとり、バンドメンバーがあっけにとられる様子を見ることができる。

P-スクエアから祝福を受けたあと、プロウラーズはラゴスへ移動し、地元ラジオ局を回ったりライブ演奏をした。「最初ラジオ局に着いた時は、スーツ姿の白人がアフリカで一体何をしているんだという疑いの目で見られていたね。でも『チョップ・マイ・マネー』を歌いだすと、電話やツイッターが殺到し、帰る頃にはサインをせがまれ、僕らの写真を壁に貼ったりしてたよ。外に出ると、ラジオを聞いていた人たちが車のクラクションを鳴らして歓迎してくれたんだ」とベンは振り返った。

少しのピジン語が大きな力を生む。最初のビデオで前列に座っていたナイジェリアのアメリカ大使、ジェームズ・エントウィッスル氏は、「ワゾビアFMラゴス」に出演した際、同性愛者の権利に対するナイジェリアの対応について、アメリカの立場を聞かれて「アメリカ政府は、ナイジェリアが同性間結婚を罰する法律を決めても制裁措置を課さない」という意味のことをピジン語で答えて好感を得た。プロウラーズがP-スクエアの曲をレパートリーに入れたのと同じように、大使はナイジェリア文化を理解し、外交とは関係ない一般のナイジェリア人と直接交流しようと努力することで、ナイジェリアやそれ以外の国の人々から称賛を得たのである。

1950から60年代のジャズ大使プログラムが、アメリカの文化や価値を広く世界に伝えるために、非軍事的な影響力を利用したのと比べると、AMAのメッセージ「我々は聞いている」は、より繊細で謙虚だ。このプログラムにより、多くの演奏が実現し、アメリカのプレーヤーが現地の名手から学んだり、異質な音楽の融合が双方に変化をもたらすことを示した。

ナイジェリアでの経験は、確かにヘンハウス・プロウラーズに変化をもたらし、「チョップ・マイ・マネー」は彼らの持ち歌になった。「演奏だけでなく僕らの経験を語っていきたい。この曲に関する話は特にね!」とベンは言う。彼らのナイジェリアの曲は、これだけに留まらないようだ。「ナイジェリアの曲をスタジオで収録して、僕らが演奏したラゴスのラジオ局に送ろうと思ってるんだ。新しい曲ばかりじゃなく、フェラ・クティのような昔の曲もやってみたいな」彼らがナイジェリアの曲を演奏しているのをネットで見た人から、思わぬ誘いを受けることもあるらしい。「カナダのカルガリーで開催されるナイジェリア文化祭に招待されたし、アトランタのナイジェリア人カップルからは、結婚式で演奏してもらえないかと頼まれたりもしたよ」

ベンは、たとえ国務省が費用を持ってくれなくても、再び西アフリカを訪れてブルーグラスを演奏したいと考えている。「父が何度も西アフリカを訪れた理由が判った気がするよ。僕もその魅力に取りつかれてしまったんだ」

校正:Nao Iwashita

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