(原文掲載日は2020年6月3日)
本記事は、著者がフェイスブックに公開した文章を転載したものである。
ジョージ・フロイドについて語ろうとするなら、私は自身がおかしてきた過失について語らねばならない。この小文は、この幾日か思いを巡らせていた間の、井戸の沈黙を破ろうとする試みである。ジョージ・フロイド事件の起きたこの状況下にあって、何の意見も言わずにいることは誤解を呼びかねないことであったが、事件数日後の「インド人到達の日」にも、私は沈黙を守ったままでいた。私は自分がインド系の人間であることに複雑な思いを持っている、と言って済ませるのでは話したことにならない。インド系カリブ人による暴力と人種差別について、私は戸惑うだけの傍観者であったばかりか、否定しようもなくその受益者であった。様々な人のいるこのカリブの国にあって、インド系カリブ人による暴力が黒い肌を持つ人たちに対して加えられるのを、私は今までずっと見てきた。そうしたことを明言するということが、ますます重要になってきている。
(訳注 : 「インド人到達の日」は、インド系労働者が旧植民地諸国に到着したことを記念する祝日。トリニダード・トバゴでは5月30日)
インド系カリブ人女性の多くと同様に、また私と同世代の、あるいはその前後の世代の人たちと同様に、私は黒人に不信感を持ちインド系の自分たちを優れたものとみなす文化の中で育った。両親が意識的に、この考えをはっきり言葉にして私に教え諭すことがなかったとしても(実際、言われることはなかったのだが)、それにもかかわらず、その空気は周囲にいつもあった。私は教えられるまでもなく理解していた――『黒人の大男』という印がついたもの(そう、「物」である)は、他の何よりも、家に持ち帰ってはならないものだった。かつてインドにいた先人たちがカラ・パニの禁忌を冒して危険な海を渡り、年季奉公契約書の下で過酷な労働に耐えた、その当時のままの「汚されず保持された」文化を誇りに思うべきなのだということを、私は学ぶより先に理解していた。サリーを身にまとい、マントラを唱え、ダールを作り、テレビ番組『マスタナ・バハール』のようにヒンディー語の言葉当てゲームをし、ディワリのお祭りの日にはランプを灯すような、そうしたアイデンティティを持った存在であることを感謝するよう、私は導かれていた。その一方、アフリカ系のカリブ文化は断片化され、その存在を消し去られていた。そこには何か、哀れみの気持ちだけではなく恐怖感や批判的な感情があった。インド系女性の責務は、「インド人らしさ」で満たされた真鍮のロタを次の世代に受け渡すということであり、インド系の男性を夫として受け入れ子を産むことが理想とされた。そうしないとしたら、それは裏切りを意味した。そして言うまでもなく、私はある種の裏切り者である。
(訳注 : 「カラ・パニ」はヒンディー語で「黒い水」すなわち海洋を指す言葉。ヒンドゥー教の教えで、海を越えることは禁忌とされた。「ダール」は南アジアの豆料理。「ディワリ」はヒンドゥー歴上の新年を祝う祭典。「ロタ」は紀元前からインド亜大陸で用いられている水差し。)
アフリカ系カリブ文化の存在を断片化し消し去ろうとする、その態度は「私はインド人である」という自意識と表裏になっており、その意識を支えているのは実は植民地時代に作られた神話なのだということに、私はいつしか気づいていた。大英帝国の視点で語られた大英帝国についての神話、その権力や目的にとって都合の良い「真理」が、誰かの首を絞め窒息させてきたのだ。このことが分かるようになる頃には、私は自分がインド系カリブ人による人種差別に対し不快感を持っていることを公言していたが、その一方で、自分がその多大な利益にあずかっているということを考えていた。大英帝国の権力と影響力という黄金のマント、その裾にある縫い目を引き裂こうとしては何度も失敗しながら、マントの下にいることの恩恵を受けていた。
私はジョージ・フロイドのことを考えている。そして、かつて私の叔父たちが黒人の異様な容姿や怠け癖、愚かさ、野蛮さを挙げてひどくこきおろしていたとき、自分がいつも黙って我慢していたことを思い出す。乗合タクシーの後部座席で、私は彼らインド系の男たちが、この場所には行かないほうがいいとか、黒人の相手をするなとか、音楽や髪形をはじめとした「過激なもの」について、それは黒人のものだから決して好きになってはいけないなどと、心配そうに言うのを黙って聞いていた。彼らの言うことは何もかも全く間違っていてひどいことなのは分かっていたが、私は「そうね」と返事をしていた。あるいはたいていの場合、何も言わなかった。
私は自分を守っている。心の中で私は、聞き分けのいい、茶色い肌の女の子になって、ぎゅっと握ったこぶしを膝の上に乗せている。あの男たち、知っている人も知らない人も含めたインド系の男たちの中にある何かに脅えて、自分の身を守っている。過去の自分は、そうだった。ジョージ・フロイドが路上で足蹴にされ、泣き叫び、うめき声をあげながら死んでいくのをもし目の当たりにしていたら、私は子どもの頃のように黙っていたのだろうか。場所をアメリカからポート・オブ・スペインに変えてみる。もし黒人の女性が銀行の前で、インド系の守衛に侮辱されているのを見たら、私は過去の自分と同じ態度をとるのだろうか。その問いに、私は答えることができない。
私はかつての自分のふるまいや心の痛みをおぼえている。そして、ここトリニダード・トバゴでインド系カリブ人が経験してきた構造的・体系的人種差別や階級主義とアフリカ系カリブ人が経験してきたそれとを、かつての自分が同一視していたということを知っている。そのふたつは違うものだ。もしそれを分かっていたら、私は何をしていただろうか。できることなら昔の自分に、ほとんど何も知らなかった過去の自分にこのことを教えて、同じ間違いを犯さないように、協力し味方になるということの本当の価値や有益性に目を向けるようにと言いたかった。手を結ぶという行為から見世物めいた要素を切り捨て、相手の声にもっと耳を傾けるようにと伝えたかった。
「しかしこの地の歴史を振り返ってみれば、私たちインド系カリブ人は昔から今に至るまでずっと虐げられてきたではないか」と、どこからともなく現れた歴史学者が、個人的な述懐に対して非難してくることもあるだろう。私たちインド系の者は、信仰や農村の田舎臭さ、「黒人」の目から見たときのひ弱な様子や食習慣を理由にしりぞけられてきた。食事についていえば、一般に広まるまでインド風の料理は「正式な」場からは当然のように排除されていた。小さく可愛らしい形にあつらえられたゴート・ロティが磁器製のお皿に載せられて、カントリー・クラブの前庭で供せられるまでには長い時間がかかった。そうした自分たちの歴史を知らないのかと、私は批判されるだろう。いや、私は知っている。そして、この歴史が言い訳の理由にはならないということも知っている。
(訳注 : 「ゴート・ロティ」は、山羊肉のカレーをクレープ状の薄いパンで包んだもの。「カントリー・クラブ」(トリニダード・カントリー・クラブ)は、要人や著名人の歓待にも使われるイベント会場で、植民地時代に上流階級の人々が社交場としていた場所にある。)
途方もなく遠いところまで伸ばされた、大英帝国の長い腕について、私は嫌というほど考えてきた。私たち皆、カリブ海地域のかつての植民地にいる、有色人種の人々すべての生が、その手の中にあった。その勢力のために、私たちのある者は鎖でつながれ、またある者は年季奉公させられた。私たちの肌、家庭生活、個人の内面、祭壇、この地で手にする農具、礼拝所、寝室、この征服された土地に並んだ墓に至るまで、同じ方法あるいは別の方法で支配を受けていた。
こうした歴史、こうしたすべての事情をもってしても、それで私が無罪だということにはならない。それで私が、アメリカ人つまりアメリカにいる黒人と同じだと言うことはできない。ジョージ・フロイドに成り代わり、日々の喜びや苦闘を、そして息を引き取るまでの最後の一瞬一瞬に感じていた恐怖を追体験することはできない。
彼ら黒人の声に何度でも耳を傾けよう。彼らから学び、学び取ることに失敗し、その失敗のひとつひとつの中で私の目が開かれていくことを願う。警察の残虐性や、黒人市民に対する暴力的・意図的な人種差別や、人種差別主義的な警察権力の恐ろしさについて、私がいつか語る言葉を持てるように。黒人の女性やノンバイナリー、男性の作家、活動家、思想家の足元にひざまずいて、その声を聴こう。
オードリー・ロード、ジェイムズ・ボールドウィン、ポール・マーシャル、マルコムX、ミシェル・アレクサンダー、レニ・エド=ロッジ、ゾラ・ニール・ハーストン、マーロン・ジェイムズ、彼らの体内を流れる真っ赤な血の流れを感じ取ろう。大仰に振る舞い彼らを食い物にするような関係を作るのではなく、ただその血を感受しよう。
芝居じみた態度をとったり腹話術の人形になったりするようなつながりは求めない。そうならないことを願っている。
傷つき身を切られるような思いをすることなしには、彼らを受け入れ支持すること、血の通ったあいさつを交わすことなどできないだろう。
自分が完全な理解に至ることは決してないだろうということは分かっている。しかし敬愛の念を込め過ちを認めて、この旗を掲げることができないとしたら、私には何を訴える資格もないだろう。
私は旗を掲げる。触れれば傷を負うような複雑な問題であっても、沈黙の中に留め置くことのできない私の声を、自分の政治的な姿勢を示すために。
ジョージ・フロイド、トレイボン・マーティン、タミル・ライス、サンドラ・ブランド、トニー・マクデイド、彼らのために、アメリカにいる黒人たちのために。茶色の肌を持つインド系カリブ人から、不完全ながら連帯の思いを捧げる。罪に汚れた私の手が清められていくことを願って捧げる。
流された血の償いができるよう、私は祈っている。