ブータンの女性は、最近になり伝統的に男性中心のスポーツだったクル (ダーツ競技)に参加するようになったことで、思いもよらぬところで初めてちょっとした女性運動の議論を呼んでいる。
家母長制社会のブータンでは、一般的に女性たちはかなり恵まれている。自分の好きなように生活し、好きな服装をし、やりたいことをして、畑やオフィスでも男性と肩を並べて仕事をする。女性の方が年老いた親や家族の世話に向いているという文化的な考え方があり、出生から男の子より女の子の方が望まれる。それが、伝統的な相続法も女性に有利だった理由かもしれない。
しかし今、インターネットやお茶の間では、クルをめぐって、女性ができることとできないこと、何が適切で何が不適切なのかなど、自由の度合いと限界について広く議論されている。
興味深いのは、この限界を試すムーブメントは学識のある女性が意図して始めたものではないという点。単にクルに興味がある農村の少しだけ読み書きができる女性によって始まったのだが、メディアの注目を集め、すぐにそれ以上にことが膨らんだ。
ブータンの女性は、オリンピック式のアーチェリーやバスケットボール、サッカー、クリケット、ビリヤード(バーで遊んでいるとき)などの競技をする。しかし現在まで、伝統的なスポーツへの参加は男性にだけに限られてきた。最近になり女性がこの領域に踏み込んできたことが、世界中の女性にはおなじみの男性優越主義を呼び起こしたようだ。
ブログKuzu-Bhutanでは、Simpletonが「女性とクル競技」というタイトルのスレッドを立ち上げた。
クルは女性には向いていない。彼女たちの着るキラという服では、自由に身動きが取れない。女性にこの競技をとられてしまうと男性が不安に思っているという考えからではなく、神聖さを保たなければならないという観点に基づき、伝統は尊重されなければいけない。
wowは次のように答えている:
私は男性だが、女性がクルに参加することに異論はない。彼女たちが決めること。参加したいなら、参加させてやればいい。今女性のタクシードライバーが出てくるなんて、15年前に誰が予想できただろう?クルだって同じ。すぐにチャンリミタン競技場のアーチェリー場で女性がアーチェリーをするようになるだろうし。すべてが変わって、古いものから新しいものへと変わっていくんだよ。
これに対して、Pangtsi Dormaがこう返している:
女性がクルをしているのを見るのは、本当に気持ちが悪い。テレビで試合が放送されていたら、すぐにテレビを消すよ。
そしてTwitterこう付け加える:
私はいろいろな部分で、女性のエンパワーメントや権利の忠実な支援者だ。でも、このクルの件は、嫌になる。どうしてか分からないけど、我慢できない。彼女たちは、女子プロレスラーみたいに見えるよ。
別のフォーラムでは、kjelのように女性がクルをするのは悪い兆しだと言っている者もいる:
(クルをしているということは)悪い兆しだ。だから、地震や嵐、土砂崩れ、火事、大雨、アルコール中毒、薬物中毒が多いんだ。
Bhutantimes.comでは、ravinが打ち終えた後の踊りについて:
女性が男みたいにクルをしたり、ダチャムを踊ったりしているのを見ていると、恥ずかしくなる。
そしてWangDugaYは、侮辱するのではなく冗談を交えてこう書いている:
メス猿たちが将来、片足を空高くあげてWaHa WaHaを踊るときにちゃんとスカートを下ろして踊れるようになればいいけど。
Kuenselonlineのフォーラムでは、aZaRiaがこの様な考えに反論している:
女性がクルをしているということが、彼女たちを馬鹿にし、この国の伝統や文化を壊していると責めるための男性の言い訳になっている。One of the pillars of GNHの柱の一つに、文化の保存と振興がある。しかし、それが女性の排除であったとは記憶してない!女性は、この国の平等な市民だ(でも、このフォーラムでも男性は女性よりも上であると考えているのがよく分かるとおり、実際はそうではないと思う)。ブータンは仏教国だけど、このフォーラムでの調子では、あなたたち男性は仏教思想を変えてしまっている。頑固で性差別的にならないで!今は21世紀。なぜ迷信に私たちの生活が左右されなくちゃいけないの?あなたたち男性は、迷信を使って女性を従属させ続けている。
しかし、Kindenは男性だけを責めることに対し警告している:
aZaRIAさん、… 女性の90パーセントは、女性がクルをすることに反対だと思うよ。
そして彼が言うように、Kuenzaのような女性が自身の ブログでこう書いている:
私は女性に活躍してほしいと願う女性だけど、時には男性の領域に属するものもあるということを理解しなくてはいけないと思う。男性がやることすべてをやることで、私たちの力や能力を証明する必要はない。
それに対して23歳の女性NoonaChoniは、こう書いている:
私は故郷から離れて勉強していて、私の国の国技はアーチェリーだと人びとに教えます。私はブータンを誇りに思っているし、ブータンについて話すと誇らしく思う。でも、アーチェリーをしたことがあるかと聞かれると、私はうなだれてしまう。ブータン人の女性としてアーチェリーをする機会がなかっということが恥ずかしい。
一方でChoは、Writers Association of Bhutanのブログで、ブータンで女性であることについて意見を書いている:
私はいつも、自分が育った国には性差別がないと思っていた。つい最近までは、社会の中での女性としての私の地位が気に入っていた。いま、女性はがんじがらめにされていた地面から立ち上がってきた。社会における女性のあるべき場所を見つけようという動きを、私はフェミニズムと定義する。
世の中には私と同様の意見を持った尊敬に値する男性もいると思う。だから、フェミニズムは女性だけの問題じゃない。
男性の公務員Rikku Dhan Subbaは、彼のブログでこう書いている:
… この筆者は迷信的すぎる?… 女性嫌いってところだね。
Tshering Tobgayは、彼のブログでこう書いている:
でも彼女たち(クルのプレーヤー)は、一般通念に異議を唱えている。これは、この国の女性を誇りに思えることだ。