バングラデシュの首都ダッカで培われた上質な手織りの綿織物「モスリン」が、今よみがえろうとしている。
ダッカの南部地区のみで育てられていたワタの変種から生産されたモスリンは、長い歴史を持つ。植民地以前の時代から生産され、特に ムガル帝国の宮廷で珍重された。その多くは17世紀の初めから18世紀初頭までヨーロッパに輸入され、その質の高さにより称賛された。しかしながら、ベンガルのモスリン産業は、機械で製造されるイギリス製の布地だけを認めたいとするイギリスの植民地支配者から抑圧を受け、ダッカモスリンに使用する特別なワタの品種も、この非常に美しい布地を生産するのに必要な、複雑で難しい技術も少しずつ失われていった。
バングラデシュは国の固有の産物としてモスリンを守るために、モスリンの地理的表示(GI)を申請した。それはオリジナルの手織りのモスリンを復活させるため、10年を超す取り組みを受けたものだ。2014年10月、シェイク・ハシナ首相は、繊維省の職員に、モスリン復活に取り組むよう指示を出し、政府はバングラデシュの研究者とともに「モスリン衣服の技術を再現して、モスリンを生み出す黄金の糸をつくり、生産を再生する」プロジェクトを開始した。
「夜明けのかすかな霧のような」布
バングラデシュでは「ムルムル」としても知られる「モスリン」は、手で紡いだ最高級の綿糸を手織りで仕上げた布だ。その生地は大変きめが細かく、それをまとった人の体が透けて見えるほどである。非常に薄くて上質であるため、この生地で作られたモスリンのサリーには、そのまま1着1つのマッチ箱に収められるものもある。
中国の僧侶で旅行家でもあった玄奘(げんじょう)は、629年仏典を求めて中国から遠くインドに渡った時この生地に出会い「この布は夜明けのかすかな霧のようだ」と書き記した。
タレク・アジズはフェイスブックで、バングラデシュの首都ダッカにおける手織りのモスリン生地の名声と衰退について書いている。(元の投稿は現在閲覧できません)
১৭৬৩ সালের জুন মাসের কথা। বাংলা থেকে রওয়ানা হয়ে এ বন্দর সে বন্দর পার হয়ে “দ্যা ফক্স” নামের জাহাজ পৌঁছেছে বিলাতে। ইউরোপের বিভিন্ন বাজারে বিক্রির জন্য জাহাজটি নিয়ে এসেছে নানান পণ্য যার মধ্যে একটা বড় অংশ জুড়ে রয়েছে হরেক রকম বস্ত্র। আর এই হরেক রকম বস্ত্রের সিংহভাগ জুড়ে আছে মলমল নামের একপ্রকার বস্ত্র। [..] ঢাকার সুপ্রসিদ্ধ মসলিন কারিগরদের অন্যতম শ্রেষ্ঠ সৃষ্টি এই মলমল। [..] পুরো ১৮ শতক জুড়েই এরকম শত সহস্র জাহাজ বাংলা থেকে নিয়ে গেছে সে সময়ের হিসাবে লক্ষ লক্ষ টাকার মসলিন।
১৮ শতকের দ্বিতীয়ার্ধে মসলিনের বিক্রি মুঘল সাম্রাজ্যে প্রায় শূণ্যের কোঠায় এসে ঠেকলেও ইউরোপের বাজারে তখনো টিকে ছিল। কিন্তু দুর্ভাগ্যজনক হল, ১৭৮০ তে বিলাতের শিল্প বিপ্লব মসলিন তাঁতীদের ঐ শেষ আশ্রয়টাও ধ্বংস করে দেয়।
বিলাতে ঢাকা থেকে আমদানিকৃত মসলিনের উপর তারা শতকরা ৭০-৮০ভাগ কর বসাল। [..] পত্রপত্রিকায় চললো মসলিন নিয়ে নানান অপপ্রচার, মসলিনকে হেয় করে ছাপাতে লাগল নানা রকম ক্যারিকেচার। শুধু তাই নয়, কথিত আছে, দেশীয় তাঁতীরা যাতে মসলিন বোনার কৌশল পরবর্তী প্রজন্মকে শেখাতে না পারে সেজন্য তাদের হাতের আঙুলও কেটে ফেলেছিল স্থানীয় ইংরেজ বনিকরা।
এভাবে ইংরেজ কুটকৌশল আর অত্যাচারের শিকার হয়ে ১৯ শতকের মাঝামাঝিতে পুরোপুরিই বিলুপ্ত হয়ে যায় ঢাকার মসলিনশিল্প।
1763年6月のことだ。「フォックス号」という名のイギリスの船が、インドのベンガルを出港し、イギリスに到着した。この船にはヨーロッパの様々な市場で取引される各種の産物が運ばれていて、広く取り揃えられた織物もその中にあった。中でも目を引いたのはモスリン(ムルムル)と呼ばれる布だ。[中略]この布地は、ダッカの有名なモスリン職人による最高級の布だった。[中略]18世紀を通し、何百というこのような船が、数百万ルピーの価値のあるベンガル・モスリンを運んだ。
18世紀後半、ムガル帝国ではモスリンの売れ行きは低迷したが、ヨーロッパ市場ではよく売れた。残念なことに1780年のイギリスの産業革命により、モスリン職工たちのすべての希望が打ち砕かれた。
イギリスはダッカから輸入されるモスリンに60~70%の税を課した。[中略]それはモスリンに関するプロパガンダであり、新聞には、モスリンを中傷する嘘のニュースが大量に流された。それにとどまらず、ベンガル在住のイギリス人商人は、機織り名人が次の世代にモスリンを織る技術を伝承できないようにするために、その地の職工の指を切り落としたとも言われている。
こうして、ダッカのモスリン産業は19世紀半ばイギリスの植民地支配者により消滅した。
現在「モスリン」は軽くて透き通った綿織物全般をさす言葉だ。たいていは機械織りで、チーズ作りやインド亜大陸ではサリーなど衣料品用、その他多用途に用いられている。
失われた知識を探し求めて
バングラデシュの人々はモスリン生地の起源や伝説について、学校の教科書や歴史の本から、またおそらく、バングラデシュ国立博物館にあるモスリン製品の展示から見聞きしている。だがモスリンで使う変種のワタのことも、昔から伝わってきた本物のモスリンの織り方もついえてしまい、今となっては昔と同じモスリンを織ることは不可能だ。
2014年、国際的に著名な写真家シャヒドゥル・アラムによるダッカの非営利団体ドリク写真図書館の小規模なチームが、学芸員や職工、職人の助けをかりて、モスリンの起源を集中的に調査した。彼らの調査は「モスリン、私たちの物語」という本の出版、さらに2016年2月6日の第1回モスリン・フェスティバルの実現へと結実した。このフェスティバルでは、モスリンの歴史についての展示、ワークショップの実施や映画の上映を行い、この伝説の布再生への新たな思いを呼び覚ました。
最初の課題は、モスリンの本物のサンプルを見つけることだった。次に本物の糸を見つけ出す必要があった。政府のプロジェクトチームは、バングラデシュの博物館やコレクターから、古いモスリンのサンプルを探すために、新聞広告を載せた。しかし集まったものは、オリジナルの伝説のモスリンではなかった。2017年、4人のチームメンバーはロンドンに渡り、ビクトリア・アンド・アルバート博物館から1710年に織られたサリーを入手した。
大衆紙のデイリー・プロトム・アロに掲載された記事によると、バングラデシュ手織り機会長に率いられた7人のメンバーは、モスリンを織るのに使っていた昔からの糸を見つけ出すミッションに乗り出した。
昔と同じモスリンを作るためのワタを探して
スウェーデンの植物学者カール・フォン・リンネは、著書『植物種誌』(1753)の中で、モスリンに使われてきたワタはアオワタの変種プティ・カルパスだと記している。
研究者たちは、植物の手がかりを見つけるため、全国紙などの新聞にプティ・カルパスのスケッチを掲載した。彼らは、国内各地から集めたワタの変種と、ビクトリア・アンド・アルバート博物館のサリーのワタの遺伝子とで一致するものがないかも調べた。チームは非常に類似したものを見つけ出し、ラジシャヒ大学植物学部内の農園で栽培した。
彼らはモスリンの先祖伝来の織り方を知る2人の職工を突き止めた。この2人は1710年から続くモスリン・サリーのデザインでサリーを織ることができた。彼らは6枚の最初の試作品を作った。1枚の布のコストは36万タカ(4245米ドル)と見積もられたと言われる。
このニュースを聞いたネットユーザー、カニズ・ビント・ザーマン氏は喜びを表した。
#Muslin is reborn. Gratitude to the Chief Scientist #MonzurHossain sir & his fellow scientists whose hardwork has made Muslin back. It has recognized as the 4th GI product from Bangladesh. Bringing Muslin back was a stubborn desire of Hon'ble PM Sheikh Hasina from the yr of 2014. pic.twitter.com/yGsFD6JBvT
? ????? ????? ????? (@KanizBenteZaman) December 31, 2020
モスリンがよみがえった。主任研究員モンズール・フセインと、仲間の科学者の努力によりモスリンが戻ってきたことに感謝します。それはバングラデシュの4番目のGI製品として認可されました。モスリンの再生は、2014年からのシェイク・ハシナ前首相の強い要望によるものです。
研究者のアター・ラマン・コロル氏はこうツイートした。
After 170 years, the scientists and researchers have been able to give rebirth to the Dhakai Muslin. Muslin has not only been a type of fabric for the bengali people, but also a part of the rich heritage that was long lost in the hand of British exploitation. pic.twitter.com/yfbaotRIHA
? Ataur rahman kollol (@MAR_kollol) January 2, 2021
170年後、科学者と研究者たちがダカイ・モスリンをよみがえらせることができた。モスリンはベンガルの人の布であるだけではなく、イギリスの支配で長い間失われていた豊かな伝承産物のひとつでもある。
ダカイ・モスリンは6年にわたる努力の末に再び生き返った。
(訳注:ダカイはサリーの種類で、バングラデシュのダッカに由来する)
昔と同じ品種のワタを使ったモスリン生地は、今後2年以内に商業生産されるようになるだろう。