開発 · 6月, 2009
その他のトピック
月間アーカイブ
- 4月 2023 1 記事
- 11月 2022 1 記事
- 3月 2022 1 記事
- 2月 2022 1 記事
- 12月 2021 2 件
- 11月 2021 3 件
- 5月 2021 1 記事
- 3月 2021 1 記事
- 1月 2021 1 記事
- 12月 2020 2 件
- 11月 2020 4 件
- 10月 2020 1 記事
- 8月 2020 1 記事
- 7月 2020 4 件
- 6月 2020 2 件
- 5月 2020 2 件
- 4月 2020 2 件
- 3月 2020 2 件
- 2月 2020 1 記事
- 1月 2020 2 件
- 11月 2019 1 記事
- 10月 2019 1 記事
- 9月 2019 2 件
- 8月 2019 1 記事
- 7月 2019 3 件
- 6月 2019 1 記事
- 5月 2019 2 件
- 3月 2019 2 件
- 1月 2019 3 件
- 12月 2018 1 記事
- 11月 2018 2 件
- 10月 2018 1 記事
- 9月 2018 2 件
- 8月 2018 1 記事
- 7月 2018 3 件
- 4月 2018 2 件
- 3月 2018 1 記事
- 2月 2018 1 記事
- 12月 2017 1 記事
- 11月 2017 1 記事
- 8月 2017 2 件
- 7月 2017 5 件
- 6月 2017 2 件
- 3月 2017 1 記事
- 2月 2017 2 件
- 1月 2017 1 記事
- 12月 2016 3 件
- 11月 2016 1 記事
- 10月 2016 2 件
- 8月 2016 1 記事
- 7月 2016 1 記事
- 6月 2016 1 記事
- 5月 2016 1 記事
- 4月 2016 1 記事
- 3月 2016 1 記事
- 1月 2016 2 件
- 12月 2015 3 件
- 11月 2015 3 件
- 10月 2015 2 件
- 9月 2015 1 記事
- 8月 2015 2 件
- 7月 2015 3 件
- 6月 2015 1 記事
- 5月 2015 2 件
- 4月 2015 4 件
- 3月 2015 1 記事
- 2月 2015 3 件
- 1月 2015 3 件
- 12月 2014 3 件
- 11月 2014 1 記事
- 10月 2014 4 件
- 9月 2014 5 件
- 8月 2014 1 記事
- 7月 2014 2 件
- 6月 2014 2 件
- 5月 2014 4 件
- 4月 2014 8 件
- 3月 2014 2 件
- 2月 2014 2 件
- 1月 2014 1 記事
- 12月 2013 1 記事
- 11月 2013 2 件
- 10月 2013 1 記事
- 9月 2013 6 件
- 8月 2013 2 件
- 7月 2013 2 件
- 6月 2013 1 記事
- 5月 2013 2 件
- 4月 2013 2 件
- 3月 2013 2 件
- 2月 2013 1 記事
- 1月 2013 1 記事
- 12月 2012 3 件
- 11月 2012 1 記事
- 10月 2012 1 記事
- 8月 2012 4 件
- 6月 2012 4 件
- 5月 2012 1 記事
- 4月 2012 3 件
- 2月 2012 3 件
- 1月 2012 2 件
- 10月 2011 3 件
- 9月 2011 3 件
- 8月 2011 1 記事
- 4月 2011 1 記事
- 3月 2011 1 記事
- 2月 2011 3 件
- 1月 2011 1 記事
- 12月 2010 2 件
- 8月 2010 2 件
- 7月 2010 3 件
- 6月 2010 1 記事
- 10月 2009 1 記事
- 9月 2009 1 記事
- 6月 2009 1 記事
- 3月 2009 2 件
- 1月 2009 2 件
- 8月 2008 1 記事
- 7月 2008 2 件
- 5月 2008 1 記事
- 4月 2008 3 件
- 3月 2008 4 件
- 1月 2008 7 件
- 12月 2007 3 件
- 11月 2007 1 記事
- 9月 2007 1 記事
記事 開発 from 6月, 2009
台湾:ハンセン病療養所楽生院の記憶をとどめるために
東アジア 2009/06/20
楽生院療養所は、日本が台湾を植民地としていた1929年に、日本政府によって設立された。植民地時代、ハンセン病患者は隔離と治療のために、療養所に住むことを強いられた。しかし、台北MRT建設のために、療養所の建物の多くが撤去を余儀なくされ、入所者たちは強制立ち退きとなった。療養所の多くの建物は、すでに取り壊されていて、現在も取り壊しが行われている。それでも、人びとは楽生院のコミュニティーの結束を保ち、彼らの大切な家の記憶を守ろうと懸命だ。岡部昌生氏のフロッタージュは、そのようなイニシアティブの一つである。